大地×かなで

「Shape Of My Heart」

表紙

十月七日(金曜日) 牽制


 一日の授業を終えて、教室の空気は弛緩する。
 既に空は黄色の混じった色味を帯びて、日が傾き始めていた。
 週末ともなれば賑やかさも段違いだった。しかも目前には連休が迫っている。浮き足立つのも道理というものだ。
 足早に帰宅する者、お喋りに熱中する者と様々に行き交う中で、大地は比較的ゆっくりと鞄にノートを詰め込む。
 必要な教材だけ持ち帰り、あとはロッカーに入れておく。全て持ち帰っても手を付けられるのは結局一部だけなのだから、無駄な労力は使わずに越したことはない。
「さーかきくんっ」
 徐に立ち上がったところで、肩を叩かれた。振り向くとにこやかに笑うクラスメイトがいて、大地は思い切り顔を顰めた。
「何だ、岡本か」
「何だよ露骨に嫌な顔しやがって、傷つくぞ」
「はいはい悪かった。それで? 何の用だ?」
「あー、重原らと図書館で勉強することになってんだけど、榊もどうかと思ってさ」
「いつ?」
「明後日の日曜だけど」
「無理」
「即答かよ。何だ、何か先約でもあんのか?」
「まぁね」
 曖昧に笑うと、岡本はふくれ面でぶちぶち文句を垂れる。
「なんだよー、ここらで頭いい奴入れて楽できると思ったのにさー」
「それ、俺に全部やらせてノートだけ写そうって魂胆だろ」
「げっ、ばれてる」
「見え見えなんだよ」
「それだけじゃねーぞ、お楽しみだってあんだからな」
「お楽しみ?」
 笑って鞄を持ち上げ、廊下に向かおうとしていた大地の足が止まった。
「そうそう、聞いてくれよ! 近くの公園でさ、小日向さんが演奏してんの、前に聞いちゃってさ」
「…………」
「声かけよっかなーとか思ったんだけど、無理でさ。……んで、お前が居るなら知り合いじゃん? だから、お茶とかに誘えたらなーって思ってさ。ほら、やっぱさー、知ってる人間が居た方が、小日向さんも警戒しないだろうし」
 大地の様子などまるで気にも留めず、岡本はぺらぺらと舌を回転させている。
 確かにかなでは、警戒心などどこかに置き忘れてきたかのように懐く。例え見知らぬ男子生徒に囲まれても物怖じしないだろう。そこに大地が居れば尚更だ。うち解けた雰囲気で会話を交わし、相槌を打ち、笑う彼女を容易に想像できる。
 それを岡本に見抜かれていることも腹立たしい。
 例え日曜に先約が無かったとしても、俺がこいつらと一緒に居て彼女に近寄らせるような真似をすると思ってんのか。舐められたもんだ。
 にやりと意地の悪い笑みを浮かべ、大地が顔を上げる。
「岡本」
「ん? 何だよ」
「明後日、ひなちゃんは公園にいないよ」
「何で知ってんだよ、そんなこと」
「だって」
 一拍、間を開けた。息を吸い込んで、とどめの一言を言い放つ。
「日曜、俺とデートするから」
 ぽかんと口を開けたまま呆けているクラスメイトに、これ以上ないほど爽やかな笑みを返し、大地は今度こそ背を向けた。
 背後で絶叫が聞こえるが、耳を塞いでやり過ごす。
 これ以上、ライバルを増やしてたまるか。
 いつもの「榊大地」という仮面をかなぐり捨てる。形振りだって構ってられない。格好付けて「いい先輩」を取り繕ったところで、何も進展しないのだから。
 欲しいのなら、がむしゃらに走って手を伸ばして掴み取る。例え泥にまみれても傷だらけになっても。
 本気になるって、そういう事だろう。


初出:2010/09/28

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