どんな言葉なら、君に届くのだろう。
圧倒的なほどのリアル。
胸いっぱいの想いをどうしたらいい?
「あ、日野さん」
同じ制服の後ろ姿でも、彼女を見付け出すことは簡単だった。
初めて逢った時は私服だったけれど、細い背中や肩の薄さや髪をかき上げるちょっとした仕草の全てが網膜に焼き付いている。
名前を呼べば、まるで小動物のような動作で振り返った。
明るい色の髪が肩先でさらさらと流れる。
大きな目がまっすぐに加地を捉え親しみを込めた微笑みの形に解れていく様に、いつまで経っても慣れはしない。
「加地くん! どうしたの?」
「土浦からの伝言で、今日の全体練習は4時からにしてくれって」
「そっか。土浦くん忙しいのかな」
「あの性格だから頼られることが多いみたいだよ。それに」
「頼まれたら断れないしねぇ、土浦くん」
相槌をうちながら会話を交わすという何の変哲もない交流に、胸がいっぱいになる。
名前を呼んだら振り返ってくれる。ちょっとした冗談に笑ってくれる。得意な教科を教え合って、隣同士のよしみで教科書まで見せてもらう。
偶然触れた肩の感触に、体温が2・3度跳ね上がる心地がした。
数え上げてみたらどれも些末な事柄で、ドラマチックさの欠片もなければ取り立てて特殊なシチュエーションでもない。
女の子と遊んだことなんて幾らでもあって、友達だろうとそれ以上だろうと異性を目の前に気後れするような性格でもない、と思っていた。
全身全霊をかけるような恋なんて小説の中にしかないと心のどこかで醒めた思いがあった。
なんて慢心。
彼女を知らずにいたからそんな事が言えるのだ。
一寸先は闇で、その先は光だった。
金槌で頭を殴られたような衝撃と共に、突然視界が開けるような覚醒をもたらす。
出逢いは偶然で、完全な一方通行。状況は圧倒的に不利で、このままでは完全な負け戦だ。
一方的に一目惚れなんて、誰が信じるだろう?
学校が違うだけで居ても立ってもいられず、毎日のように件の公園に行きたくてその音を聴きたくて彼女を見ていたくて、転校さえ決意してしまった。
それまで培った学業も交友関係も部活動も全て投げ捨てた。
偏差値の高い進学校に入学し成績をキープしながら部活動をこなし、そのまま名のある大学に進むのだろうとぼんやり見ていた世界は一変する。
がむしゃらに背中を追い掛けて、名前を知って誕生日や好きなものを覚えて、一つ一つ想いが増えていく。
君を知るたびに気持ちが膨らんでいく。
胸の中に住み着いて、日々その存在が強く大きく感情を揺さぶる。
もう後戻りもできない。
「それじゃあ、加地くん、ちょっと二人で先に音を合わせてようよ」
小首を傾げて彼女は悪戯っぽく笑った。
その声で、僕の名前を呼んだ。
たったそれだけ。ひどくちっぽけなこと。
それだけで、生きた心地がしないなんて、何の冗談なんだろう。
「う、うん! 喜んで!」
頭が真っ白になって、咄嗟の返事が喉につまった。喉はからからに干上がって、顔の筋肉が固まる。
笑顔を作りたいのに口元が震えた。
笑いたいのに泣きたくなって、彼女が傍らに並ぶその隙に目元を拭う。
がむしゃらに走って追いかけて、やっと辿り着いた場所に立っているのに、幸せでひどく苦しい。
肩先に彼女の顔が並ぶ、そんな現実にただ圧倒されて言葉が出なかった。
【終わり】
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加地×日野の体裁を取ってますが、実質地→日な目線で暴走。たぶん、加地氏の日野さんの見解はこんな感じかと。
初出:2008/01/17