言い訳なら両手で足りるほど用意して
一つずつ退路を断って、追い詰めて。
「……柚木先輩って、どんな小学生だったんですか?」
日野が隣を伺うと、柚木はふっと苦笑する。
アンサンブルの練習は屋上だった。
風のない穏やかな午後で、日溜まりはぽかぽかと暖かく心地良い。
一通り音を合わせてみれば、歯車が噛み合うように音が重なり合った。
コンサートまで数日とない中、上々の仕上がり具合に緊張がほんの少し解ける。
火原が躍り上がって喜び、柚木は微笑み、加地がほっと息をついた。
日野が休憩を言い出すより先に、火原と加地が雑談を始める。その中に、小学校の頃流行った遊びについての考察があった。
火原と加地が互いの共通項を見出したり反対意見を述べて議論したりと夢中になっている間、柚木は静かにベンチに腰掛け、長い足を組んでいた。
当初こそ議論に加わっていた日野も、柚木に気付いて隣に座る。日野が抜けたことも気付かぬほど、二人は熱心に話し合っていた。
「そうだね……。まぁ、たぶん君が想像してる通りだと思うよ」
柚木の長い髪がさらりと揺れ、隣の日野を面白そうに見つめる。
はぐらかされて日野は拗ねたように上目遣いで睨む。
「……うまく逃げましたね。私は先輩の口から聞きたかったのにな」
柚木が驚いたように瞠目した。それの変化は微々たる物だったが、涼しげで独特な表情の一端が崩れて日野の方が驚いてしまう。
しかし、瞬きを幾つかしている内に、すぐに柚木は目を閉じた。
「なるほどね」
口元に浮かぶ笑みを見て、日野は後悔する。柚木がこんな笑顔になるとろくな事にならない。
「二人とも、ちょっといいかな」
日野の危機回避能力が及ぶより早く、柚木が立ち上がって火原と加地の間に割り込んだ。
「柚木先輩」
「柚木? どうかした?」
「日野さんが喉渇いたそうだけど、火原はそろそろ練習室の予約の時間じゃなかった? 加地くんも金澤先生に用があるとか言ってたし、この辺で切り上げようと思うんだけど、どうかな?」
火原は慌てて時計を確認した。その横で加地も携帯電話の時間表示を見ている。
「え、あ、そっかもうそんな時間かぁ」
「すみません、つい話に熱中しちゃって」
発言としては強引なのに、口調と声音と雰囲気の柔らかさで摩擦は殆ど生じない。
柚木の鮮やかな手管に日野は舌を巻く。喉なんて渇いてないですけどなんて反論しようものなら物凄い笑顔と視線で封じられてしまうんだろう。
火原も加地も楽器を片づけ初め、練習はお開きになった。
柚木の思惑通りで、コントロールは彼の手中だ。
「じゃ、また明日に合同練習やろうか」
再び柔らかい笑顔で柚木が申し出ても異論は出てこない。
「そうだね。今日バッチリだったけど、練習はしなくちゃ!」
「お客さんに聴かせるものですから、生半可な音じゃ日野さんに迷惑かかるし」
火原は大きく頷き、加地が肩を竦める。
屋上を出て行く二人に手を振り、思い金属音を立てて非常口が閉まると、あたりは一気に静まりかえった。
耐え切れなくなった日野が、おずおずと隣を見上げる。
「……あの、柚木先輩?」
「どうしてって言いたいのか?お前から誘ってきたんだろ」
「さ、誘うって、私別にそんな」
「違うのか? どっちにしろ手遅れだな」
柚木はふっと笑った。意地の悪い物言いは相変わらずだ。
けれどその笑顔が意外と優しいことに気付いて日野は目を見張った。
「お前にしては可愛いおねだりだったから、応えてやっただけだろ?」
べつにおねだりなんてしてません、と反論は喉元まで出かかる。
声に出すより先に柚木が動いた。
日野の両腕を捉えて引き寄せ、抵抗する間もなく腕の中に閉じ込める。
「……単に、柚木先輩の話が聞きたかっただけなのに」
「これから幾らでも教えてやるさ。けど、その前にすることがあるだろ?」
「し、知りません」
真っ赤になった日野の顔を眺めて、柚木はじつに楽しそうに笑う。
憤慨して言い返したいのに、頬をそっと撫でられたりするから、結局は柚木のペースに振り回される。
この人に捕まったのが運の尽き、なんだろうか。
悔しいのに、柚木の腕に縋っているのだから既に手遅れなんだろう。彼が言うように。
「二人きりになるのに言い訳はいくらでも用意してあるんだから、あとはお前次第だ」
勿論、練習の手を抜くわけにはいかないけどね、と付け足して未だ文句を言いたげな日野の唇を塞いだ。
【終わり】
Comment
結構甘めな木日です。メンバーからするとたぶんトランペット協奏曲なんですが、柚木の立場がコルダ2あたりっぽい気がします。
初出:2008/04/12