落ち葉がひらり

伝えたい想い、伝えられない言葉


「あ、ヴァイオリンのお姉ちゃんだ」
「今日はお兄ちゃんと一緒じゃないの?」
「カレシなんでしょ?」

スカートを引っ張られて見下ろすと、こまっしゃくれた笑顔が三つ。ニヤニヤと香穂子を見つめていた。
ランドセルを背負った女の子たちは、どこからそんな言葉を覚えてくるのか。
高校生の日野香穂子が大いに困惑するくらい、ぽんぽんと返答に窮する質問を浴びせかけるのだ。

「ちっがーう! 何度言ったら解るの!」
「またまた強がっちゃって~」
「お姉ちゃんも素直じゃないよねぇ」
「隠したってバレバレなのにねー」

海を見渡す高台の公園は赤みを増した夕日に照らされている。
今、己の顔が赤いのはその所為だ。絶対にそう。
頬を押さえて香穂子は言い聞かせる。

何度否定しても彼女たちの間で自分達は付き合っていることになっているらしい。
大体、手さえ握ったことのない人がカレシなわけがない。
そう言い返してみても、この小学生たちには通じないらしい。
勝手に話を作って盛り上がっている。

「ひょっとして別れちゃったの?」
「あーっ、だから居ないの?」
「わ~、あんなに仲良さそうだったのに?」
「それも違うー!」

香穂子は大きく息を吐いた。
公言したくなかったが、これ以上ない腹を探られるのも困る。

「お兄ちゃんは今、ヴァイオリンのコンクールに出るために外国に行ってるの」
「えーっ、すごーい」
「外国だって~」
「でもそれってさ、遠恋ってやつ?」

漸く二桁に乗った程度の年齢で、よくもまぁ色々と妄想できるものだと、いっそ感心する。
自分がその年齢だった時は、せいぜい姉の持っている少女漫画を覗き見るくらいが精一杯だった。
その程度すらちょっと背伸びしたつもりになっていた。
ただし、現実として周囲の男子小学生を恋愛対象と見ることはなく、ましてや仲良くなった高校生と大学生の関係を勘ぐるなんて思いつきもしなかっただろう。
ただその日1日が楽しかったらそれで良かった。遊ぶことにただ夢中だった。
子供だったのだから、それでいいのだろう。
しかし、今現在香穂子を取り囲む彼女たちは強敵だった。

「ちゃんと連絡取ってる?」
「電話は? メールは? 当然毎日してるんだよね?」
「浮気を心配する気持ちはよーく判るけど、あんまり疑い過ぎちゃダメだよ」
「……私はむしろ君たちの早熟さが怖いよ」

香穂子は額を抑えて呻く。
同級の友人達より核心を抉ってくる文言に、心臓がきりきりと痛んだ。
しかし、赤の他人だからこそ言えることもあるのかもしれない。
ここまで直接的に切り込まれると、爽快ですらある。

「これくらい今時の小学生は当たり前だよ」
「そうだよ~、子供だからって舐めないでよね」
「付き合う男子は常に五人以上いるんだから」
「……それ、威張るところなんだ」

春先に出逢ってから今日まで、週末ごとに公園に出向いては顔を合わせていた。
デートと言い切れないのは、ヴァイオリンを教えて貰うという言い訳があったからだ。
一人で弾くこともあれば、二人で合わせることもあった。
そうしていると、顔馴染みができる。
挨拶を交わし、会話を重ねて人の輪が広がる。この小学生たちもそうして知り合った。
中心にいるのはいつも王崎信武だ。

決して強引な真似はせず穏やかに笑っているのに、いつの間にか引き込まれている。
教会バザーのコンサートを引き受けた件にしてもそうだ。彼が言い出さなかったら、アンサンブルをやってみようなんて思わなかっただろう。
その後も創立祭や文化祭のコンサートを行い、準備に忙しい毎日を送っている。
おかげで感傷に浸るヒマもない。
こうして日本とオーストリアに別れて暮らしているなんて、俄に信じられないほどだ。

今までだって距離は感じてた。高校生と大学生というだけで今から思えば些末な問題だったけれど、精一杯背伸びしても届かない距離が、一介の女子高生である香穂子にはもどかしく思えた。
けれど、今は国さえ飛び越えて遥か彼方に居るのだ。電話もメールももらっているのに、まだどこかで信じられない。
コンクール、頑張って下さい。────応援する気持ちは、何よりも本物なのに。

「天然ボケタイプなんて、お姉ちゃんも苦労するね」
「仕方ないよね。相手がそんな大物だったなんて」
「芸能人の彼氏をもつ人の気持ちってやつ?」
「君たち、絶対何か勘違いしてるよ」

大人ぶった物言いなのに妙に的外れで、ちぐはぐだ。
なんだか、難しく考えていたことが馬鹿馬鹿しく思えてきた。

「……ヴァイオリン、弾こうかな」
「ここで弾くの?!」
「わーい、聴きたい聴きたい!」
「リクエストしていい?」

香穂子がぽつりとこぼした言葉に、女の子達は一斉に騒ぎ出した。
そうしてると年齢相応に見える。

「いいよ、弾けるやつならね」
「んじゃ、『アメージンググレース』!」
「いつもの『星に願いを』!」
「あと、『虹の彼方に』も!」

それは、全て王崎と香穂子が共によく弾いていた曲だった。
公園に来て練習するとき、最初こそ課題曲に取り組むのだが、見物人が増え出すと耳馴染みのあるポピュラー音楽を即興で弾いたりしていた。
彼女たちはそんな二人の演奏をよく聴きに来て、当該の三曲をリクエストする。それがいつの間にか定番になっていた。

けれど、今日は二重奏にならない。
完全な独奏で、高く低く香穂子の音だけが主旋律を奏でた。

寂しい。
いつも側に寄り添っていた音が無い。
それだけで、秋の空にぽつんと置き去りにされたような気分になる。

不意に風がそよいで、髪の毛やスカートを浚った。
背後にある木々がざわめいて、金色の落ち葉を撒き散らした。
香穂子の頭に肩に、ひらひらと舞い降りる。

「わぁ! すごーい!」
「キラキラしてる~」
「舞台の演出みたい!」

何となく勇気づけられた気がした。
独りぼっちじゃないと、語りかけてくる。
大丈夫、ちゃんと届いているよ、と。
思い出の中の優しい声が香穂子に囁く。
きゅう、と胸が締め付けられるような心地になった。

繰り返す日常はそれなりに煩雑で、勉強に音楽にとそれなりに忙しない。
行ってしまった人の届かない背中ばかり思い描いても、何の生産性もない。
けれど、こんな風に面影や声を何度も反芻する日があっても、いいのかもしれない。
心に正直になって、吐き出せない思いを音に込める。
そうしたら、ちょっとは胸のあたりがすっきりするのだ。また明日、頑張ろうと思える。

音楽って不思議だな。
小学生たちの拍手を受けながら、香穂子は思う。
こんな心の自浄作用まであるなんて、知らなかった。
寂しいと思う気持ちが消えてしまうわけではないけれど、余計に辛かったりもするけれど。
今はまだちゃんと立っていられる。
こうして、ヴァイオリンを弾いていられる。

そんな自分が少しだけ誇らしいと思えた。


【終わり】

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誕生日記念にコルダ2遠恋中な王日話を一つ。

初出:2010/10/17

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