憂いのバラード
切ないなんて言葉の意味を初めて知った夜
初めて逢った時は、まるで小動物のような子だと思った。
ヴァイオリンの演奏を聴いて、形に填ったような優等生っぷりに辟易した。
縮こまって小さく纏まった音だ。
敵にもならないと切り捨てた。
それでも油断はしていないつもりだったし、セミファイナルは全力で挑んだ。
相手がどんな稚拙なアンサンブルでも、舞台に立って演奏するからには全神経を傾ける。その為の努力なら惜しまない。それが信条だった。
ただ、相手の1stヴァイオリン、小日向かなでと何かと関わるようになっていたのは想定外だ。
星奏の寮に宿泊するのだから多少の縁はあるにしろ、そう幾度も言葉を交わすようになるとは思わなかった。
無視してもいいだろうし、あしらっても良かったのだろう。
実際、東金の批評を受けてへこんでいたようだし、落ち込んでいる様子も何度か目にした。
しかし、東金を見かけるたびに立ち向かうように話しかけ、自らに足りないものを模索し続ける姿には驚いた。
打たれ強いのとは違う。けれど日を追う毎に何かを掴んだように目の輝きが増していることには気付いていた。
敵に塩を送り続けていたと自覚しても、自らの優位を疑わなかったのは過信だったのだろう。
今となっては何がきっかけで何が原因かなんて探るのも馬鹿馬鹿しい。
セミファイナルの舞台で見せた彼女の躍進は、東金の全てを奪い取ってしまったのだ。心も信条も何もかも。
こんな形で心を奪われるなんて思いも寄らなかった。つい数日前の自分が聞いたら真っ先に嘲笑い、一笑に付すだろう。
そんな全身全霊でのめり込むような恋をするつもりなんて無かったのだから。
同じ寮に住み、彼女を知る機会が増えた。
セミファイナルを終えても菩提樹寮を離れなかったのは、自らが出場するソロファイナルがあっただけではない。小日向と離れたくないと思ったからだ。
彼女たちが優勝するのを見届けたい気持ちがあって、その手伝いが出来るのなら幾らでも時間を割くつもりだった。
その申し出を小日向は嬉しそうに受け取った。携帯で連絡を取り合い、食事を共に取るようになった。
彼女を知ることはとても楽しかった。自分を知ってもらうことも。
一歩ずつ近付いている感触を得て、更に踏み込む。
けれど、小日向は何も知らない。
元来素直な彼女は、感情豊かに笑う子だった。そしてそれは分け隔て無く、誰に対しても平等。
星奏の部員はもとより至誠館の面子とも、神戸から連れてきた土岐や芹沢に対してさえ交流をもち、素直な好意を伝える。敵味方というしがらみから解放されて、その傾向は顕著だった。
そんな彼女を周囲は放っておかない。
犬猫を可愛がるような接触ならまだ我慢できるが、中には本気が伺える奴も居て油断ならなかった。
何より問題なのは彼女の鈍さだ。
「神戸に連れて行く」と宣言しても冗談だと思っている。
思いつきで温泉に行くと言って連れ出し、振り回してみても嫌な顔はしない。寧ろ、子犬のように東金の後をくっついてくる。
けれど肝心な所には踏み込ませてはくれない。
夕食後、練習を終えて戻ってみればラウンジが騒がしい。無視して通り過ぎようとした東金の耳に小日向の笑い声が届いた。
星奏の如月兄弟に支倉と小日向、至誠館の部員ら全員でカードゲームを興じる姿を見て、不意に胸が詰まった。
彼らと関わる事は嫌ではない。唐突に持ち上がるバーベキューやスイカ割りは楽しかったし、基本的に大勢で盛り上がるのが好きな連中なのだろう。来る者拒まず去る者追わず。自由で好ましい連中だ。
だが、その中心に居る小日向の楽しそうな顔は見たくないと思った。
誰かの側というのが気に入らない。
自分に対してではないという状況が不愉快だ。
自覚した途端、吐き気を覚えた。何て自分勝手な感情だろうか。
ふと小日向が顔を上げた。
視線が合って、引き返そうとした足が止まった。
「あ、東金さん!」
高く澄んだ声が自分を呼ぶ。にこりと笑って手招きする。
周囲の男たちが一斉に振り返るが、東金の目には彼女しか映っていない。
「何やってんだお前ら」
「UNOやってるんです、東金さんもどうですか?」
にこにこと楽しそうに笑う。そんな顔をされて嫌と誰が言えるだろうか。
「楽しそうだな。それじゃ、俺も入れてもらおうか」
「生け贄が増えたな」
「容赦しねーからな!」
「それは俺の台詞だ」
わいわいがやがやと騒がしい。場にカードが出される度、笑い声と歓声と悲鳴が上がった。
東金の視線はかなでを追いかける。
素直な彼女は状況に一喜一憂しつつも、持ち手に有利なカードがあると上目遣いで含み笑いする。思ったことがすぐに顔に出る。大量のDraw Twoカードが回って来た時は飛び上がり、「もう、次は絶対やり返してやる!」などと頬を膨らませる。
当然、東金としても容赦はしない。すると彼女は真っ正直に立ち向かってくる。
ああ、だから彼女と関わるのは楽しいのだ。
心が躍る。次にどんな顔をしてくれるのか、それが見たい。
ふくれ面も困った顔も笑い顔も、全部。
それが俺だけのものなら良かったのに。
「よし、上がりだ」
UNOを宣言していた東金が誰の妨害を受けることなく場にカードを放り投げると、周囲が沸き立った。
「えー! もう上がり?!」
「誰も千秋を阻止出来ないなんてね」
「リベンジだ、リベンジ!」
「悪ぃな、俺はもう休む」
更に撤退を表明すれば避難の声が上がる。
「うわ、勝ち逃げだし!」
「ずりぃ! 勝負はこれからだぞ!」
「千秋らしいなぁ」
「……夜も更けてきた。今夜はこの辺でお開きにしよう」
如月律の提唱に否を口にする者は無く、渋々と言った体でゲームは終了した。それぞれ立ち上がり、ある者はカードを片づけ、ある者は椅子を戻す。
波が引くように皆散り散りにラウンジから出て行く。
テラスへ出て新鮮な空気を吸っていると、後ろから小日向の控えめな声が掛かった。
「東金さん、ここに居たんですか」
「小日向」
にこにこと彼女は警戒心もなく隣に並ぶ。
「UNO、強いんですね」
「まぁな、大概のカードゲームは負ける気がしねぇな」
「え、大概? それじゃ、どんなのが一番強いんですか?」
「一番はやっぱりポーカーだろ」
「わぁ、凄い。私、すぐに顔に出ちゃうって言われて弱いんです」
「だろうな。今回のUNO程度でも顔に出まくってたぜ」
「え、ホントに?!」
「あれじゃ、バレバレだって」
「うそ、やだなぁ」
真っ赤になったかなでは頬を抑えて狼狽える。
それでも肝心な気持ちはまるで読めないから焦れったい。
「お前じゃ相手になんねぇよ」とからかうと拗ねたように上目遣いで睨まれる。
その頭をくしゃっと軽く撫でて通り過ぎた。そのままガラス戸に手をかけると、再び名前を呼ばれる。
「あの、無理に誘っちゃったけど、楽しかったですか?」
振り向くと少し不安げな顔をした小日向が東金を見つめている。
「ああ、それなりに楽しめたな。お前の誘いなら歓迎するぜ」
「良かった! じゃ、また遊びましょうね」
ぱっと顔が輝く。嬉しそうに微笑んでそんな事を口走るから苦笑するしかない。
「おやすみ」と囁いてその場を立ち去った。
苦々しい思いが胸を過ぎる。
どこまで判っての発言なのだろうか。
振り回されているのは自分の方だとつくづく思い知らされる。
何もかも塗り潰してしまう恋にのめり込んでいく。
彼女を何が何でも手に入れたいと望んでいる。
しかし現実は何一つ思うようにならない。
歯痒くて焦れったくて胸がざわめく。
そうやって更に深みに填る様を自覚していた。
どこまで堕ちていくのか、逆に楽しみとさえ思えるほど複雑な気分だった。
Comment
この面子でUNO、是非やってみたい。大貧民(大富豪)とかジジババ抜きとかポーカーも。
初出:2010/04/08