頑なに拒む
重要なのは裏に隠された気持ちの意味
女は得てして花が好きだ。
概ね目を惹く美しいものが好きで、身を飾るに相応しいものを選ぶ。花と石はその最上にあるものだろう。
自然物なら何れ朽ちてしまうが、死と引き替えに咲き誇る生命力を写し取るかのような姿形は競争と淘汰の中で勝ち得たものだ。例えば宝石とはその点が大きく異なる。永遠という言葉とは不釣り合いで、常に流れる水の匂いが付きまとう。
緑の草木など花を飾るための額縁でしかなく、また花の方も虫や鳥を惹き付けるために色・形・匂いで精一杯自己主張する。
まさに女の性そのものと断言していい。実際、古今東西女性への讃歌や隠喩に花はよく用いられる。
それ故に男の目を惹くのだろう。
菩提樹寮の数少ない女子生徒である小日向かなでは、誰に言われずともホースを持ち出していた。
シャワーノズルを操り、植えられた植物の根元へと丁寧に水を注ぎ込む。
庭への放水なんて適当なものだと思っていたので、まずその丁寧さに驚いた。
直接葉や花に水を当ててはならないからと聞いたのは後の話で、効率の悪い巻き方だなというのが正直な感想だ。
ひとしきり花壇を回った後、満足げに汗を拭う。制服にエプロンを身につけた格好はまじめで勤勉という印象から少しもはみ出ていない。
何をするのかと室内から観察していてもこちらに気付かないほど、彼女の視線は花に集中しているらしい。
陽射しの強さにしばらくぼーっと立っているかと思えば、しゃがみ込んで花を眺めていた。
ヒマワリやアサガオ、テッセンにサルビアと定番が揃うが、東金の目には一般的すぎて面白味に欠ける。
「小日向。こんなクソ暑い中、何してんだ」
「あ、東金さん。暑いから水蒔いてたんですよ」
「そういうお前が帽子も被らずに出てどうする。熱中症になっても知らねぇぞ」
今初めて気が付きました、と言わんばかりにきょとんとした後、小日向はへらっと笑う。
「はい、ありがとうございます」
小日向かなでという少女の性格が何となく掴めてきた気がした。
こちらが「地味子」だの何だのと揶揄すれば真っ向から立ち向かってくるし、心配や好意には笑顔で応える。
馬鹿がつくほど素直で、子供のようだ。
「ほら、中入れ」
「はーい」
小日向をラウンジに招き入れ、ガラス戸を閉じた。
「水出しのお茶が冷えてますけど、東金さんもいかがですか?」
「ああ、貰おう」
よく気付いて動き回る奴だ、と食堂に移動した東金は席について小日向を視線で追う。
パタパタと軽い足音を聞いていると小動物でも見守っている気分になる。
直に小日向がコップ二つとガラス瓶を盆に乗せて現れた。慣れた手つきで茶をグラスに注ぎ、東金の前に差し出す。
「はい、どうぞ。よく冷えてますよ」
「お前もそこ座れ」
「あ、はい」
立ったままの彼女に、目の前の椅子を勧める。
小動物は大人しく命令に従った。
両手でグラスを持って少しずつ茶を口に運ぶ。
額の汗はひいたようだが、首筋に張り付いている濡れた髪は名残を伺わせる。
俯き加減になっているためそれが東金の視線を吸い寄せた。
子供のような所作とのアンバランスさに目が離せなくなる。
空気と感情の入れ替えのために、東金が口を開いた。
「それにしてもお前、そんなに花が好きか」
「え? そうですね、好きな方だと思いますけど」
「前に花屋の前でもぼーっとしてたな、お前」
「ああ、あれはまぁ、綺麗なダリアがあったから」
「ダリアが好きなのか? だったら、今度はちゃんとお前にプレゼントしてやろうか。鉢植えや地植えでもいけるだろ」
「え、いえ、それはいいです」
慌てたように小日向は両手を振った。
思わぬ拒否に東金の眉が若干斜めにつり上がる。
「何だよ、もう演奏に花が無いなんて言わないぜ」
「いえ、それはもういいんですが、プレゼントは」
「遠慮する必要はないぜ」
俺からのプレゼントを受け取らないなんてバチがあたると東金は不遜に笑う。
それでも小日向は拒否を貫くらしい。
「いえ、いいです。東金さん、ダリアの花言葉って知ってます?」
「……いや」
小日向の切り返しに、一瞬言葉に詰まった。
花言葉なんて東金には最も縁遠く、占いやまじないの類に近い。
「華麗、優雅、移り気」
東金さんっぽいですよね、と小日向は溜息を吐いた。
「ダリアは綺麗な花だけど、プレゼントは遠慮します」
「なら、何がいいんだ?」
意地になって訊ねていた。そうまでして拒む理由が知りたい。
花を贈られて喜ばない女など居ないと信じていた世界の一端が崩れた。
それも、半ば本気で贈ってもいいと、贈りたいと思った相手に拒否されるなどと想像したこともなかった。肩透かしの目算違いもいい所だ。青天の霹靂と言ってもいい。
俺らしくもないと、一度口を閉じる。
頭を冷却しないと思わぬ言葉が勝手に飛び出してしまいそうだった。
「……そうだな、お前だったら人にプレゼントするなら何の花にする?」
「え? うーん、相手によりけりでしょうか」
友達だったら相手の好みをリサーチして、誕生花とかいいけどあれも善し悪しあるし、などと取り留めもなく思考を巡らせている。
しかし東金が欲しい答えには遠く、東金は焦れる気持ちを抑えて話を軌道修正した。
「たとえば、の話。お前が男だったら、女性にどんな花を贈る?」
「うー、難しいですねぇ」
小日向は顎を摘んで考え込んだ。
「そうですね……コチョウラン、とか。あとは、オーソドックスにバラとか?」
「ちなみに、コチョウランの花言葉は?」
「清純、あなたを愛します」
でも、私の財布じゃ高すぎて無理ですけどね、と付け足す。
東金の沈黙にまるで気付かず、小日向は戯けたように笑った。
「貰うのも大変ですよ。蘭って管理と手入れが難しいから、すぐ枯らしちゃいそう。バラなんて置く場所に困るし」
けらけらとまるで邪気が無く、当然のように他意も無いだろう。
半ば自棄になって呟く。
「それじゃ、結局お前は何がいいんだよ」
「やっぱり食べ物かな」
小日向は真面目腐って即答した。
がっくりと肩を落とす。オチはそれかと突っ込みを入れる気力さえ根刮ぎ奪われてしまった。
額を抑えて俯くが、直に腹の底から込み上げてくるものがある。
くくくと、閉じていた口から空気が漏れ、それはやがて笑いの発作となって現れた。
「あっははははは……!」
「ええっ、東金さん、そこ笑う所ですか?!」
小日向は憤慨したように頬を膨らませるが、それがよけいに可笑しい。
腹を押さえ、テーブルに肘を付いた。
まだ笑いの余韻が喉を震わせる。
「お前、本当に面白い奴だな。飽きないぜ」
「それはどうも」
小日向はへそを曲げてしまったらしい。ぷいっと顔を背けて茶を口に含む。
「────ま、そのうちプレゼントしてやるから、ダリアを」
「え、何それ嫌がらせですか」
「ダリアは俺らしいんだろ? なら、丁度良い」
俺自身を捧げる、と言ったらなんて反応するだろうか。
移り気だと言うなら、それを射止めてしまったお前は相当だ。
そして、それを拒むと言うなら。
軽口の応酬に本音を混ぜて。
何れ逃れられないように罠を仕掛ける。
今はまだ、それに気付かなくていいから。
東金がにやりと笑うと、小日向は拗ねたような上目遣いで見返す。
少し困ったような顔がなんとも稚い。
どうやら小動物は若干の警戒心を覚えたようだった。
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大型捕食系ネコ科動物を見てびくっとする小動物の図。
初出:2010/04/10