そんなあなたは人気者
最初から判ってたことだけど
一念発起で田舎から出て来て一ヶ月が過ぎようとしているが、右も左も目新しいことだらけで常に好奇心がフル回転していた。
学校からの帰り道は誘惑が多すぎて、クレープと今川焼きと焼きたてクロワッサンの店が軒を連ねた辺りは強力な磁場でかなでを引き寄せる。
もう少し歩くと回転寿司があって、ファミリーレストランがあって、ファーストフードも揃っている。
寮の食事がもう少し先だと考えると余計に小腹が減って、看板に掲げられた写真からでさえ美味しそうな匂いがしてきそうだ。
バイオリンケースを抱え、しばし考え込む。
夕食が入らなくなるからガッツリご飯系は無理、軽食系に限る。
コンクールの練習漬けで疲れているから甘いものもいい。
ぐるりと辺りを見回すとお洒落な雑貨店やカフェがある。
オープンテラスのカフェでコーヒーなんて格好良くて憧れるけど、ぎらぎらと日中街を照らし続けた太陽の残滓が風を生ぬるく暖め、気分を根刮ぎ奪ってくれた。結局、冷房の効いた店内になってしまうわけで、今はお預けだ。きっともう少し涼しくなったら雰囲気を味わえるんだろう。
ぽんと肩を叩かれたのはそんな時で、振り向くと榊大地が爽やかな笑顔で立っていた。
「や、ひなちゃん。今、帰り?」
「はい、ちょっと小腹が空いたなーっと思って」
正直に現在かなでが置かれた状況を説明したら、一つ年上の先輩はふむと顎を摘んだ。
一々それが様になっていてやっぱり都会の男の人は違うなぁなんて呑気なことを思う。
「それじゃ、ちょっと付き合って」
「え?」
「前にひなちゃんをカフェに誘おうとしたら、アイスコーヒーくれたことあったよね。そのお礼」
「ええっ、別にそんなお礼なんて」
「いいのいいの、女の子は素直に奢られなさい」
片目を瞑って悪戯っぽく笑われてしまうと反論できなくなる。
「そ、それじゃ、お言葉に甘えて」
「うん、あそこの店だよ」
背中をそっと押されて促され、つくづく感心する。レディファーストにそつがなく態度は洗練されており、さり気ないエスコートは完璧だった。
けれど、そんな扱いに慣れてないかなではどぎまぎと落ち着かない。
右手と右足が一緒に出てしまいそうなほど体がこちこちに固まる。
出逢いから徹頭徹尾彼の態度は変わらないが、こんな時は妙に緊張してしまう。
どうしたらスマートにエスコートを受け入れられるんだろう、なんて考えても答えはみつからない。
慣れてないのだ。こんなにはっきりと「女の子」扱いされるのは。
そうこうしてる間に、横断歩道を渡り雑踏を抜けてカフェへと近付いた。ちょうどクレープ屋さんの隣で、そこには他校の女子生徒が固まって談笑している。
部活動の帰りなのだろうか。この辺りでは見ない制服だったが、実に楽しそうにきゃいきゃいとはしゃいでる。
数人がじゃれ合いながら歩道に出て来た。
「ひなちゃん!」
ああ危ないとぼんやり思った瞬間にぐいっと強い力が腕を引っ張った。
一瞬前までかなでが歩いていた所に女子高生が倒れ込み、替わりに大地がその背を受け止める。
「前を見てないと危ないよ」
特段慌てた様子もなく大地が微笑むと、場が静まりかえった。
皆、ぽかんと口を開けて大地を注視する。
「やだ、うそ!」
「ちょーカッコイイ!!」
「あんた何受け止めてもらってるの!」
「いいなぁ!」
一斉に嬌声が上がった。通行人が何事かと振り返る。
かなでと目があうと、大地は少し肩を竦めた。
これだけ誉められても彼は特に思う所はないようだ。
「はしゃぐのもいいけど、通行人に迷惑かけないようにね」
女子生徒に笑いかけ穏やかな一言を投げ掛ける。すると途端に行儀良く全員が目を輝かせて「はい!」と答えた。
何とも現金なものだなぁと眺めていると、大地がこちらを振り返る。
「行こうか、ひなちゃん」
「は、はい」
頷いてみたものの彼が声を掛けたことでかなでに視線が移り、全身にチクチク刺さる感触を感じた。
「ねぇ、あれって星奏の制服?」
「やだ、彼女かなぁ」
「え、妹とかじゃない? 釣り合ってないし」
声の大きさなんて考慮していないのだろう。漏れ出る嫉妬まみれの放言がかなでの胸を容赦なくぐさぐさと突き刺す。
けれどへこたれても居られないから聞こえないと全身で訴え、背筋を伸ばす。
そのまま、目の前の大きな背中を見上げた。
おとこのひと、だ。
無駄な贅肉など一切ついてないのにこんなにも広い。
顔かたちは端正で、彼女たちがきゃあきゃあ言うのもよく判る。かなでだって初めて言葉を交わした時はどこかのモデルか俳優かと目を疑ったほどだ。
その隣に並ぶかなでは小さく、一目にも彼氏彼女といった空気ではないだろう。
判っていても改めて言われると胸がちくんと痛んだ。
カフェの入り口は木目の目立つカントリー調で、木の梁が天井を伝う内装の古ぼけた色合いが雰囲気を醸し出している。
壁に貼り付けられたポートレイトはセピア色で統一され、ソファもどこか古めかしいが座り心地は良かった。
店の奥にはジュークボックスまで置かれ、どうやら実際に動くようだ。別の客がコインを入れ選曲している。
「さて、ひなちゃんは何にする?」
さして広くもないテーブルを挟んで対面に大地が座った。
その距離が思うより近い。普段見上げるばかりの顔が同じ高さになって目の前にある。
「ひなちゃん?」
目線を合わせられず店内を見回していたかなでは慌てて差し出されたメニューを受け取る。
「あ、えーと、アイスコーヒーと……あとサンドイッチのセットで」
「了解。俺も同じのにするよ。ここのスモークサーモンとチーズ入りのサンドイッチは絶品でね。コーヒーによく合うんだ」
オーダーを取りに来た店員にメニューを返し、かなでが口を挟む間もなくアイスコーヒーとサンドイッチを注文した。
店員の女性にもかなでにも穏やかで優しい笑顔を向ける。
分け隔て無く平等だ。
立っているだけで衆目を集め、それを邪険に扱わず笑みさえ返す。
容姿から性格に至るまで、まるで少女漫画か恋愛ドラマから抜け出したかのようだ。
「どうしたんだい?」
ぼんやりしていたら顔を覗き込まれた。
会話が消え失せ沈黙していたことに気付き、つい口から思っていたことが零れ出る。
「先輩って、少女漫画から出て来たみたいだなって」
すると大地は呆気にとられたように目を丸くした。程なくしてふっと吹き出すと声を上げて笑い出す。
お腹を抱えておかしそうに肩を揺らし、笑いの発作は暫く収まらないようだった。
「先輩、笑いすぎです」
アイスコーヒーが届いても笑い続ける。かなでが拗ねたように睨むが、大地は「ごめんごめん」と言いながら目元を拭った。
「ひなちゃんは俺を買いかぶりすぎだよ」
「そうでしょうか?」
「うん、少なくとも俺は聖人君子じゃないし、王子様でもないからね。女の子に親切なのは単に性分だよ」
「はぁ……」
「でも、そうだね。さっきのは流石にちょっと」
「え?」
「ひなちゃんが怪我したりしなかったから良かったけどね」
まっすぐ目を見つめられて、顔が熱くなる。
アイスコーヒーのグラスは手を付けられることなく水滴を表面に溜めはじめた。
「俺は、他の誰かとか不特定多数じゃなくて特別なたった一人に好きになってほしいと思うよ」
どきどきと心臓が高鳴っている。
大地の口元は微笑を形作っているのに、目は笑っていなかった。
何かをかなでの中に注ぎ込むように見つめている。
カランと軽い音を立ててグラスの中で氷が溶けた。
「……そういう所、やっぱり王子様だと思います」
やっとの思いで目線を少し下へと逸らす。
「ひなちゃんにそう思ってもらえるなら光栄だな」
大地は目を細めてかなでを見やり、テーブルの皿に視線を移した。
「サンドイッチ、食べようか」
声音と会話を軌道修正するように水を向ける。
ようやくかなでの耳に店の雑音が戻ってきた。
大地が薦めてくれたサンドイッチなのにちっとも味がしなかった。
ただ胸の中がいっぱいに詰まっていて何も受け付けなくなっていた。
【終わり】
Comment
イベント「恋になってた」の直前くらい。ちょい微妙な二人。
初出:2010/04/08