テレパシ-で届け、私の想い

視線で気持ちが通じてしまったら?


人をじっくり観察すると色々なことが判る。
それは例えば話し方だったり、所作だったり癖だったりと様々だ。
特段、大きなリアクションをする人ではないから、動作といえば限られたものばかり。
表情も穏やかで優しい。
押し寄せた後輩の矢継ぎ早な質問にも丁寧に答える。
当初こそ音楽や部活に関するものばかりだったそれが徐々に脱線していく。
とどめとばかりに一人の女生徒が手を挙げた。
「先輩、今まで何人のひとと付き合ってたんですか?」
「はい、パス、次」
榊大地はにっこりと笑って受け流していた。


部室の窓はかっちり閉め切られ、エアコンによって室内の温度が一定に保たれている。独特の匂いが篭もるそこには今、人の声が飛び交っていた。
小日向かなでは楽譜を手に、机二つ向こうで繰り広げられていた問答を眺める。
かなでの両隣では同じように譜面をチェックしている幼馴染みと後輩がいるが、言葉は少なかった。
かなでが出した提案にああでもないこうでもないと飛び交った論戦は一段落ついて久しい。
全てが停滞。賑やかなのはもう一人のアンサンブルメンバー、榊大地の周囲だ。
元来人望の厚い人で男女問わずに交友は幅広く、部員の上下に関わらず何かと頼りにされている。
当然のことながら女生徒からの人気は絶大で、音楽科普通科ともにファンが数多に存在するという。

それも当然だろうなぁ、というのがかなでの印象だ。
逢ったばかりの後輩に対して、「可愛い新入部員を歓迎するのは当然だろ」なんて言い出した時にはひたすら驚いた。都会の学校はすごいなぁなんて呑気な感想を抱いていたけど、どうやら彼は別格らしい。
以来、何かと「可愛い」と頭を撫でられる。
彼が飼っている愛犬とかなでが似ているらしい。それは誉められたと喜ぶべきなのか、それとも女子として嘆くべきなのか。俄に判断できない。
学内選抜でアンサンブルを組んで以来、行動を共にするようになった。毎日のように顔を合わせ練習し励まし時に批評し、コンクールを乗り越えていく。
その間、影に日なたにと支えてくれた。人望が厚いというのは、彼の弛まぬ努力と和やかな人柄と地に足をつけた考え方の結果なんだろう。彼に任せたら大丈夫と、素直に思えるのだ。
かなでが1stヴァイオリンをやるにあたって意見の衝突があったけれど、それも乗り越えて今ここにいる。人を甘やかすだけでなく、客観的にものを捉える目と冷静な判断力をもって苦言を呈す。
その上で、一度は否定したかなでの音をちゃんと認めてくれた。もちろんかなでだって認めてほしくてがむしゃらだった。その努力と成果を見ていてくれたのだ。自分の音に対して誇らしいと心底思えた。

ここ一月で起こった出来事を振り返り指折り数えても不思議な縁だとしみじみ思う。
律や響也と家族同然に暮らしてきたかなでにとって、異性と改めて認識した初めての相手なのかもしれない。律も響也もかなでに対して「妹」のような扱いだったし、かなでも二人を「兄弟」のように思ってきた。そこに性別はなく、改めて「女の子」扱いされたことなんて一度も無かったのだ。
今では一番馴染みの先輩となっている。
けれど有る意味一番不可思議な人だった。
彼を追い掛けてもまるで空気を掴むように手をすり抜けていってしまう。
かと思えばふらりと近寄って顔を覗き込み、意味ありげに笑ったりする。
友達とも普通の先輩後輩とも違う、微妙な距離がそこにあった。
かなでにとっての大地は、大事なアンサンブルメンバーで、身近な先輩で、よく判らない人。


こうして一歩離れて観察していると、彼の仕草や癖や笑い方がよく見えた。
後輩の女子部員に囲まれて爽やかな笑みを絶やさない、内面も外見も大人びた人。
不躾な質問に嫌な顔一つしない。
「好きな食べ物って何?」
「牡蠣フライかな」
「わ、渋い」
「それじゃ好きな飲み物は?」
「コーヒー。ブラックが特に好きだね」
「好みのタイプってどんな人ですか?」
「君みたいに明るくて可愛い子だよ」
どんな問いにも淀みなくそこに台本でも用意されているように答える。
そして周囲の反応も彼の予想範囲内だろう。
「嘘つき、先輩それ女子全員に言って回ってるんでしょ!」
「ああ、バレてたのか」
「もう先輩、真面目に答えて下さいよー」
また今度ね、と興奮気味の女子生徒を宥めるように大地が返答した。
少し困ってるのだろうか。笑っているのに、目線が少し下がった。
あれ? とかなでが小首を傾げる。
大地の目がかなでに向けられた。
「あ」と声が洩れそうになって慌てて口を閉じる。彼も驚いたように眉を上げ、そしてふっと微笑んだ。
目を細めてかなでを見つめる。
先程から観察していて初めて見る表情だと、気付いた時にはもう視線が外れていた。

「それじゃ、俺はアンサンブルのミーティングに戻るから」
「はーい」
「先輩、ファイナル頑張って下さいね!」
「小日向さんたちも頑張って!」
「それじゃ、失礼しました~!」
退室の挨拶までも賑やかな部員らが部室の扉を潜り、ばたんと大きな音を立てて閉まった後に数十分ぶりの静寂が戻ってくる。
大地もかなで達が並んで座る席に近寄ってきた。
「や、おまたせ。そちらは終わったのかい?」
「はい、先輩が抜けた時とさほど変更はありません」
「そうか」
「あー、ぎゃーぎゃーと煩いのがようやくいなくなった」
大地とハルのやりとりに響也のふて腐れたような声が被る。
「なんだ、羨ましいのか響也は」
「んなわけねーよ!」
「話の最後で抜けてしまったのはすまなかった」
「でも概ね意見は纏まってましたし。ね、響也」
かなでがフォローすると響也はふんと鼻を鳴らしてそっぽ向く。
「とりあえずファイナルはこれで行きましょう」
「そうですね、あとは練習あるのみってことで」
かなでの言にハルが頷き、響也も不承不承と言った体ではあるものの異論は無いようだ。
ミーティングはお開きとなり、ハルが挨拶の後に音楽室を出て行く。
立ち上がって伸びをしていた響也が後片付けしているかなでに絡む。
「あーあ、後で何かおごれよ、かなで」
「えー、どうして?!」
「俺をここまで呼び出して疲れさせた」
「んもう、何よじじくさい」
その背中に拳を一発、見舞ってやる。いてーよと響也が叫んだ。
「ほらほら、二人ともじゃれてないで。部室閉めるよ」
「はーい」
大地の催促にかなでが返答する。
急いで廊下に出ると、響也は「俺、ちょっと寄り道して帰る」と言い残して立ち去った。
かなでは傍らに立つ人を見上げる。
「帰ろうか」
大地が優しく微笑んだ。


そう言えば、と前置きして大地は少し声音を変えた。
二人揃ってエントランスを出て、校門を過ぎたあたりだ。
それまで世間話をしていたものとは異なり、微かに低めの探るような声だった。
「さっき、俺をじーっと見つめてたけど、あれって何だった?」
「え? あれは別に何でも」
「何だか熱烈な視線だったから、ちょっと気になってね」
「いえ、そんな深い意味はないんですが」
「本当に? そうは思えなかったけど」
いくら言葉を重ねても大地は納得しないようだ。
ちらりと横目に見れば、こちらを見つめ面白そうに反応を待ちかまえている顔と出くわす。
「……好奇心で観察してました」
正直に話すと今度は驚いたような顔し、声を上げて笑い出した。
「あはははははは」
「先輩、笑いすぎです」
「ああ、ごめん、いやホント」
咳払い一つで笑いを収め、大地はかなでに向き直る。
「ひなちゃんは素直で面白い子だね」
「はぁ……そうでしょうか」
「そうだよ。普通、問いつめられてそんな風に暴露する子っていないよ」
それは誉められているのだろうか。それとも貶されているのだろうか。反応に困って返答できずにいると、大地がそれを察したように再び微笑んだ。
「俺としては嬉しいよ。それだけ俺に興味をもった、ってことだろ?」
「……それも返答に困ります」
かなでは顔を背けた。思わず赤くなった顔を見られたくなかったけど、賢い彼にはとっくにばれているだろう。
その耳に、素直だねひなちゃんは、と呟く彼の声が届いた。

「それで、観察の結果、何が判った?」
再び歩き出しながら彼がそんな事を言い出す。未だ、観察の件を打ち切ってくれないらしい。
「……先輩はあまり表情を変えないんだなぁって。それと」
「何?」
「好みのタイプを聞かれた時だけ、スルーできずに困ってるようでした」
一瞬、風の音が聞こえるほどの沈黙が落ちてきた。
遠くで車のエンジン音が響く。ここは住宅街で、大きな幹線道路は少し先にある。つまりそれだけ辺りが静かだという証明だった。
「君って、時々驚くほど鋭いね」
感心したように大地が呟く。
「そうですか? 普通だと思いますけど」
「普通はそんな事に気付かないもんだよ」
「そうなんですか?」
「うん」
でも、と大地が続けて言った。
「当たりだから怖いね。さっきはちょっと困ってた」
「好みのタイプの話、されるの嫌なんですか?」
「嫌ってわけじゃないよ。好みのタイプは明るくて可愛い子、ってのに間違いは無いんだけど。最近ちょっと違うのかなって思い始めて」
かなでは返答しようと口を開きかけ、しかし適当な相槌も見付からなかったので沈黙を選ぶ。
「本当言うと、それを言っておくと都合が良かったんだ。女の子は皆、明るくて可愛いから。でも、それだけじゃない、がむしゃらに頑張る姿を見ていたら……」
珍しく大地の語尾が迷うように小さくなった。しばらく考え込むように顎を摘み、かなではそんな彼を観察する。
「うん、最近ちょっと好みが変わったのかもしれない」
大地は目を細めた笑い方でかなでを見た。
妙な緊張感がかなでを包む。生唾を飲み込もうとして、口の中が渇いていることに気付いた。
震える喉を押さえて質問を舌に乗せる。少し掠れ気味に出てしまった声はそれでも一応の体裁を保っていてくれた。
今、不自然にならない程度に訊きたいこと。そんなの、一つしかない。
「どんな人がタイプなんですか?」
かなでの質問に、大地はやっぱりねと頷く。
「うん、それは……今はまだ秘密かな」
そして朗らかに笑った。まるで悪戯を思いついた子供のような、滅多に見ない部類の表情だ。
「今はって事はいつかは聞かせてくれるんですか?」
質問を重ねても、大地は笑うだけで答えてはくれない。
逆にかなでの顔を覗き込んでとんでもない事を言い出す。
「そう言えば、ひなちゃんの好みのタイプって?」
「そんなの判りません」
頬を膨らませて答えたら、おあいこかと残念そうに呟いた。

肩を並べ話をしながらの下校はとても楽しい。
その相手が大地なら尚更で、今やすっかり見慣れた通学路も別の道にさえ思えてくる。
けれど、すぐ目前に菩提樹寮が見えると、終焉が迫っているように感じて切なかった。
そんな時、不意に大地が話を切り替える。
「ああ、そう言えば、ひなちゃん」
「はい」
世間話の続きかとかなでが返事すると、大地は眩しいものでも見るように目を細めた。
「男に対してあんな風にまっすぐ見つめちゃ駄目だよ」
「え? どうしてですか?」
「男って単純だからね。そんなまっすぐな目で見られたら、『俺が好きなのか』って勘違いするのも出てくるよ」
「そういうものなんですか?」
「うん。好きって言えない子もいるだろ? ひなちゃんがどうかは判らないけど、それくらい真っ直ぐな目だったから」
片目を瞑って大地が戯けたように笑う。それは普段、冗談を言う時の顔だった。

それなら勘違いじゃありません、と言ったらこの人は何て答えるだろう。
笑うだろうか。それとも困る? うざい?
いや、冷静な先輩のことだ。大人な態度で「ごめん」と言うだろう。
告白なんて慣れているだろうし交わし方も心得てるに違いない。
少し考えて、かなでは顔を上げた。
「だったら、テレパシーで好きって伝えます」

真面目に答えたつもりなのに、再び声を上げて笑われてしまった。


【終わり】

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大地の総括、「俺はいいけど他の男は見ちゃ駄目」

初出:2010/04/15

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