プレゼント
「誕生日、おめでとうございます、エレンフリートさん」
顔を合わせて開口一番、この台詞だ。
電報で伝えられた文言は、18日に会いたいから予定を空けておいてほしいと、ただそれだけだったから疑問にも思わなかった。
彼女の連絡が急で強引なのは、今に始まった問題でもない。
目下、問題はその発言について、だ。
自分でも忘れていた個人的な事情を、いつどこで聞いたのだろうと、口に出しかけて止めた。
エレンフリートの個人情報を握る上司が彼女の友人なのだから、エレンが口を噤んでも筒抜け状態だと悟る。
そう言えば、と記憶を巡らせる。
休暇を願い出たら、許可はあっさり下りた。今から思えば、簡単すぎたほどだ。
エレンフリートは滅多に休みを取らない。逆に有給休暇を消化しろとせっつかれるほどだが、休むよりは仕事をしていた方が楽しいエレンにとって、福利厚生は煩わしいとさえ感じていた。
若き理事はエレンフリートの提出した書類に、喜々としてサインを記した。
にやりと口角を上げた笑みはそういう意味だったのかと、今更ながらに気付かされる。
つくづく、意地の悪い上司だ。
上司となる前から印象は悪く、根本的な蟠りが解消された後も苦手意識と劣等感は僅かながらに燻っている。
彼が理事に就任した経緯について、とやかく言うつもりはない。前任者の強い意向は知っていたし、他に適任もいないだろう。
財団内で反対意見もなく、実際に「大陸全体の復興に尽力した」という功績も上げた。
これはエレンの個人的な問題であって、公人としてのそれではない。
そして、レイン理事と無二の親友であるアンジェリークは、エレンフリートにとって更に手強い存在だった。
エレンフリートが何を言おうと自らの意見を曲げず、結果的にいつも振り回される。
厄介なことにそれを嫌だと思わないのだ、エレンは。
思いたいのに、心地良いと感じてしまっては、意地を張っても無駄だった。
それでもしがみついたプライド故か、素直な気持ちを表せずにいた。
彼女はそんな自分を見限ったりせずに、寧ろ積極的に関わろうとする。
それが不思議でならない。
誰に対しても慇懃無礼で、生意気で、楽しい話題を提供できるわけでもなく、彼女の利益になるようなことも何一つないはずだ。
エレンフリート自身、損得勘定で動いているわけではないけれど。
彼女より年下で、未熟で不器用で、いつも比べてしまう。彼女を取り巻く男性たちと、自分とを。
彼らならもっとスマートに彼女を受け止めてやれるだろう。それを思うだけで、居たたまれない気持ちになる。
どうして、こんな私に────
喉元まででかかった疑問は、結局吐き出されないまま固唾と共に飲み込まれる。
差し出された箱から目を逸らした。
あまりこういった習慣に馴染みがないから、他の人間なら一も二もなく拒否していたはず。
エレンフリートは抵抗を試みた。
「……授業はどうしたんです?」
彼女はまだ大学生で、寮住まい。
商都に出てくるには馬車を使って半日かかるだろうし、これから帰っては夜になるだろう。
つまり、1日を丸々潰してしまうということだ。
彼女とて忙しい毎日を過ごしているだろうに。
「今日は講義を入れていないんです。寮にも事前に外出許可を出していましたから、私がファリアンに居ても問題ありませんよ」
こちらの心境などまるで知らないように、彼女はにこりと笑う。
誕生日から話題を逸らそうにも、外堀は完全に埋められていた。
きらきらと輝く目が、エレンをまっすぐに見詰める。
逃げ場を失った気分で、エレンフリートは恐る恐る手を伸ばす。
口の中で小さく「……ありがとう」と呟けば、アンジェリークは嬉しそうに微笑んだ。
その笑顔は想定の範囲内だったが、何度見ても眩しくて直視できない。
逃れるように視線を落とすと、そこには彼女がプレゼントとして用意したもの。紛れもなく己の手中に収まってる。
リボンで飾り立てられた箱は細長い形をしていた。
「どうぞ、開けてみてください」
戸惑いに視線を泳がせたエレンを、アンジェが優しく促した。
導かれるように、包装を解く。
中の箱を開けると、仕立てのいいタイが現れた。
深い宇宙を思わせる紺と青の絹糸が幾重にも織り込まれ、星を思わせる白のラインが幾何学模様を描いている。
普段着よりフォーマルな場に相応しい上品さは、そのまま彼女の審美眼の高さを窺わせた。
「……男の方にプレゼントを渡すのは初めてで、どういう物がいいのか迷ったんですけど」
アンジェリークは照れたように両手を合わせて、頬をバラ色に染める。
「でも、それを見た時、エレンフリートさんにぴったりだと思ったんです。……どうでしょう?」
エレンフリートは弾かれたように顔を上げた。
「……それは、私を────男として意識しているということですか」
思わず口走ってしまった言葉は、二度と舌に戻すことはできない。
アンジェリークは驚いたように目を丸くしている。
聞かなかったことにしてくれと嘆願しても、無駄だろう。
エレンフリートが声に出して発した一言一句を、アンジェリークは聞き取って認識した。伝達は完了してしまったのだ。
慌てた。
体中の血液が沸騰するような気分だった。
「あ、いえ、そのっ……!」
「はい、それは当然じゃないですか」
エレンの動揺など気付いていないのか、アンジェリークは至極まじめな表情で肯く。
「素敵な男の方だと思ってます」
ああ、だから苦手なのだ、彼女は。
エレンフリートは、赤く火照った顔を手の甲で拭う。
こんなに動揺させられて、みっともない姿を晒して、回転のいいはずだった────エレンフリート唯一の長所と自負すべき頭脳が、一切通用しなくなる。
なのに、彼女を拒めない。
できないどころか、手紙を受け取るたび、顔を合わせるたび、言葉を交わすたびに引き込まれてしまう。
一つ叶えば、次を望むようになる。
次にいつ会えるか、手紙が来るのかと、その日を待ち侘びてしまう。
「あの……」
「はい」
「プレゼント、……ありがとうございます」
顔を背けたまま、低く呟いた。
「どういたしまして。気に入っていただけたら、とても嬉しいです」
顔を見なくても、弾んだ声だけでどんな表情を浮かべているのか、容易く想像できる。
ぎゅっと箱を握り締めた。
手の中は汗が滲んで、未だ熱は冷めやらない。
一つ、叶ったら、次を望んでしまう。
このまま彼女を帰したくなくなる。
もっと言葉を交わして、もっと近付いて、傍にいたいと願う。
欲深くなってしまう。
「……この後、時間取れますか?」
「え?」
「よければ、その、食事……とか」
「ええ、よろこんで!」
アンジェリークは拒否しない。
それを、好機ととっていいのだろうか。
初めての恋に、エレンフリートは戸惑うばかりだった。
【終わり】
Comment
誕生日記念SS。学院戻るEDその後の、エレン→←アンジェな感じ。
初出:2011/01/18