花びらで占う恋模様
あなたの気持ちを知りたい
青いペンキで塗りたくられたような空の天辺に白く輝く太陽が居座る。
突き刺すような白い光線が地上を温め、ぬるま湯のような風が吹き抜けた。
星奏学院音楽科棟の屋上は緑豊かな校内を一望できる眺めの良さに加え、色とりどりの草花が生えるプランターが並ぶちょっとした規模の庭園だ。
憩いの場所としては最適で、生徒の出入りもそれなりに多い。
転校して様々な場所に案内されて都会の学校は凄いなぁなんて一々感心したものだけど、この屋上は格別だった。
舗装されたアールデコ調の模様とか豊富な種類の花々だとか横浜の街をぐるりと見渡せる展望だとかお気に入りポイントは多々あるけれど、何よりも空が広くて気持ちがいい。
テレビの中でしか見たことないような高層ビルが建ち並ぶ街も嫌いじゃないけど、やっぱり緑がないと息が詰まる。
綺麗すぎるほど整えられた住宅街はどれも同じような建物に見えて迷路のようだし、アスファルトが敷き詰められた道路は熱を溜め込んで人間を蒸し焼きにでもするかのようだ。
妙に明るい夜空の星は玩具のガラス玉にでもなったかのようにちらちらと空の合間からこちらを覗き込む。
昼間の空だってまるで色落ちした写真のようで作り物めいた色合いだけど、ふわふわと歩く白い雲を追いかけるように眺め風に吹かれていると、不思議と心が落ち着く。
ヴァイオリンを奏でていると更に気持ちがいい。
紡ぎ出す音が空に吸い込まれていくようで、頭が空っぽになる。
そうして弾いていると偶然居合わせた生徒たちから拍手喝采を受けることも少なからずあった。
転校から一つの夏が駆け抜けようとしている間に、この場所にも思い出が刻まれていく。
嬉しいことや悔しいこと色々あったなぁなんて、まだ一ヶ月しか経っていないのに懐かしく思えて不思議だ。
階段を一気に駆け上がり重い扉を開け放つと青い空がまず目に飛び込む。眩しさに目を細めやり過ごすと、次に風が髪を掻き回した。
手を広げて伸びをすると、辺りを見回した。他に人影は無く、今この一時だけ小日向かなでが屋上を独り占めできるらしい。
食後の息抜きに何となく足が向いた結果だが、棚からぼた餅とでも言うべきだろうか。
幸せな気分のまま、プランターの前にしゃがみ込む。
このクソ暑ぃのによく平気だな、なんて幼馴染みが言いそうだけれど、太陽を一杯に浴びた花を眺めるのは楽しい。一緒に日の恩恵を賜るのだ。
指先でつんと突いてゆらゆら揺れる様をぼんやり見つめる。
初めは面白がって、中に出入りする小さな虫をからかうように。
けれど自然と指の動きは緩慢になり、ぴたりと止まった。
視線は彷徨い、焦点を失う。
この場所に来ると思い出してしまうのはつい先日の出来事。
……ああ、そういえば。
拍手してくれた生徒の中に岡本と名乗った先輩が居たなぁなんて思い返すと、どうしても思考はある一点に集約されてしまう。
その台詞一つ一つを思い出すたびに頬が熱く、居たたまれないような心地に陥る。
岡本先輩からの告白に驚いたけれど、その後が問題で。
大地先輩が言おうとして止めた言葉。
どう考えてもあれは。
ううん、でも違うかもしれない。私が勝手に思い描いてるだけで。そうだったらいいなって。
違ったら凹むどころの騒ぎじゃないし。
期待して舞い上がって都合いいようにくみ取って自惚れて。
でもでも。話の流れはどう考えてもそういう事だったし。
「今はアンサンブルに集中しよう」
会話はそこで断ち切られ、以後一切持ち上がることはなかった。
自分から触れる勇気はなかったし、彼はその素振りも見せない。その辺りはさすがに先輩だなぁなんて感心してしまうが、正直かなでの心境は複雑だった。
アンサンブルの練習してる間なら何も考えずに済むのに、こんな風にぽっかり時間が空いてしまうと怒濤のように思い出の波が打ち寄せて頭がいっぱいになる。
考えないように努めてた思考の鍵が外れて制御不能状態だ。
告白なんて少女漫画かドラマか創作物の中にしか存在しないと思ってた。
身近な異性はいたけれど「彼氏」「彼女」なんて対象になるはずもなく、同性の友達と全く同じ扱いだった。それ故、告白を受けたことも、また自分からしたこともない。
憧れは多少なりとあっても現実とはほど遠いとどこかで思い込んでいた。
「────何してるんだい? ひなちゃん」
頭の上から声が降ってきて、比喩でもなんでもなく飛び上がるほどに驚いた。。
「わっ、大地先輩! びっくりしたー」
「そんなに驚いた?」
慌てて立ち上がると、一つ年上の先輩は穏やかに笑った。
幼馴染みの律も大人びているとは思うが、かなでの目にはそれ以上に見える。
感情的になることなく何事もそつなく抜かりなく颯爽とこなしてしまう、ように思う。
そんな先輩が見せた少し赤い顔。真面目な表情。真剣な目。低い声。思い出すだけで胸が高鳴る。
「ちょっとぼーっとしてて。お昼食べ過ぎちゃったかも」
「ははは、ひなちゃんのお弁当はとびきり美味しいから、その所為かもな」
軽口を叩いていても顔を直視できずに視線は顎のあたりを漂う。
今、自分はちゃんと笑えてるだろうか。
おかしい所はないだろうか。
体が妙に熱くて汗が噴き出す。その姿を見られているかと思うと恥ずかしい。
「少し食休みしてから練習しようと思って」
「そうだね、それがいいよ。練習も大事だけどやりすぎは良くないから」
俯き加減になって頬に髪がかかる。
それがやけに気になってしきりに耳へとかけ直す。
「でも休むならもう少し涼しい所がいいよ? ここはちょっと暑いし」
「あ、そうですね。でも、可愛い花が咲いていたから」
「花?」
「はい、アスターっていう菊科の花です」
「へぇ、色鮮やかで可愛い花だね」
先程まで一人でしゃがみ込んでいた場所に、今度は大地とかなで二人揃って膝を付く。
急に近付いた距離にどぎまぎしながら、なるべく花に意識を向けるようにと視線を固定する。
「音楽科棟の屋上はいつも綺麗だと思ってたけど、こうしてみると色んな花が植えられてるんだな」
「はい、なんか嬉しくなっちゃいます」
「ひなちゃん、花が好き?」
「はい。こういう八重咲きの花って特に好きです」
「うん、花びら多くて華やかだね。こういうのとかひなちゃんに似合うと思うな」
「ガザニアと、それはカモミールですね。これも可愛い」
「ああ、これがカモミールか。名前は知ってるけど実物をちゃんと見たことなかったな」
「いい匂いしますよね」
「うん、これが学内のものじゃなければ摘んでひなちゃんにあげるのに」
「えっ?」
思わず顔を上げ右隣を振り仰ぐと、優しい笑みを浮かべた大地がじっとかなでを見つめていた。
「あ、あの、ありがとう……ございます」
止めようもなく頬が紅潮する。
見つめ返してしまいそうになる目線を無理矢理剥がし、花に戻す。
「でも、そしたら花を手折っちゃうことになるから、このままでいいです。折角、綺麗に咲いてるんだし」
「そうか。そうだね」
少し空気が重さを増したように感じて話題を微妙に変える。
「あ、子供の頃ならきっと何も考えずにぶちぶち取っちゃってただろうけど」
「はは、確かに。子供の頃ってホント、何も知らずに凄いことやってたよね。昆虫や蛙なんか素手で掴んだりとか」
「そうそう、罪悪感とか気持ち悪いとか考えなかったですもん」
「そういえば、花びら占いとかやった?」
「あ、好きとか嫌いとか占うやつですか? やりましたよ!」
話題が逸れてそのまま盛り上がっていることに安堵していた。
このまま地雷を踏むことなく楽しい気持ちのままでいてくれたらと口を動かす。
「一重咲きの花じゃすぐに結果が分かっちゃうから、それこそアスターとかマーガレットで。あ、知ってます? マーガレットって「恋占いの花」なんだそうですよ。それで、響也や律くんと競い合って『好き』『嫌い』がいつの間にか『勝ち』『負け』になってて、『嫌い』の結果に響也がムキになったりして」
「────いいな」
「え?」
「律と響也が羨ましい」
唐突な一言に舌がぴたりと止まる。
かなでが何も言えずにいると大地が苦笑した。
「ううん、何でもない。今のは無し。でも────」
かなでの顔を覗き込むように首を傾げ、大地が微笑んだ。
「次は俺のを占ってほしいな」
できれば奇数枚の花で。
一瞬の間を置いて大地が動いた。
かなでの返答も聞かず立ち上がる。
「それじゃ」と手を振り、アンサンブルの練習を約束して屋上を立ち去っていく。
一人取り残されたかなでは呆然とその背中を見つめていた。
扉を開閉して校舎の中へと消えても、視線を動かせずに立ち尽くす。
この頬の赤みをどうしよう?
かなでは両頬を抑えて呻いた。
胸の中、いっぱいに溢れた気持ちをどうしよう。
今はアンサンブルに集中しようと思うけれど。
冷静を取り戻すにはあともう少し時間が必要だった。
【終わり】
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アスターの花言葉:思い出・追憶・追想・後の祭り・心くばり・変化・さよなら
ガザニアの花言葉:あなたを誇りに思う・身近の愛・潔白・きらびやか
カモミールの花言葉:あなたを癒す・逆境に耐える・親交
マーガレットの花言葉:恋を占う・予言・真実の愛・誠実
初出:2010/04/10