『ザッハトルテ』 剣之助×ヒトミ

恋愛エンド後・甘々・誕生日記念

 

普通、逆だよなぁとヒトミは溜め息をつきたい心境だった。

眼前の皿には、艶やかなチョコレートをまとったザッハトルテが威風堂々と鎮座していた。
側には白くふわふわにホイップされた生クリームが添えられている。
恐る恐るフォークを差し入れると、コーティングされたチョコレートの硬い感触とふわっとした生地の柔らかな感触を伝えてくる。
生クリームをすくい取ってその欠片に塗す。濃くも甘い香りが鼻先をくすぐった。
無意識にも生唾を飲み込み、期待に胸を膨らませて口に運ぶと、チョコレートと生クリームがとろりと舌で溶けていく。
チョコ風味の生クリームをココアパウダーで焼き上げたスポンジがしっとりと挟み込んだ極上の甘さと、微かに香るアンズジャムの上品な苦味がまろやかに混ざり合って、咀嚼するほっぺたを落としにかかってくるようだ。
「美味しい……っ!」
思わず洩れた感想に、一つ年下の恋人は安堵したように微笑んだ。

今日、誕生日を迎えた本人が、こんな美味しいケーキを作ってしまうなんて。
ヒトミの心中は複雑だ。
自分がケーキを焼いて持て成したいのに、剣之助の部屋に招かれている。
しかも、試食と称してチョコレートケーキの王様と謳われるケーキのご馳走だ。
せめてお茶は煎れてあげたいと、無理を言ってロイヤルミルクティを作ってみたが、ここまで完璧なケーキの前には邪魔になっているかのように思えてしまう。

今日は、大切な剣之助の誕生日。
だから何かしてあげたいとずっと考えていた。
結局、昨年と変わり映えしない誕生日プレゼントになってしまって、(しかもケーキまで作ってもらって)後悔ばかりが苦く胸を苛む。

「そんな事ないっスよ」
思い切ってそう告白したヒトミに、剣之助は満面の笑みを向ける。
「こうして先輩がオレの誕生日を祝ってくれるだけで、十分っス」
「でも……」
その言葉に嘘はないようだった。元来、嘘をつくような質でもない。
何よりも嬉しそうな笑顔が、その言葉を証明している。

それでも、とヒトミは俯く。
剣之助の優しさが嬉しいのにその分悔しくて、情けない。
自分でも不可解な感情がぐるぐると脳裏を渦巻いて、目の前の人を直視できなかった。

「あ、でも一つだけ、先輩にしか出来ない事があるんスけど」
「え? なぁに?」
珍しい彼のおねだりにヒトミが顔を上げる。
いつの間にか席を立っていた剣之助が、ヒトミに近寄る。
そっと肩を抱き寄せ、優しく頬を寄せて剣之助が微笑んだ。
どこか照れたように頬が赤い。
けれど、優しく細められた目は熱く煌めいていた。

「……たまには、先輩からキスしてほしい」




【終わり】

初出:2009/06/30

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