東金×かなで
新幹線の車窓を流れていく景色なんて、ちっとも目に入ってこない。
頬杖をついてぼんやりとペットボトルのラベルを眺める。
半分ほど残ったその茶に口を付ける気にもならなかった。
胸がいっぱいで、他の何も受け付けない。
先程前の座席に着いていた家族が富士山が見えたと騒いでいたから、目的地はまだ先だ。腕時計を確認しては、動きの鈍い針に苛立つ。
今回の旅行は何もかもが特別だった。
たった一人の旅行は何も今回が初めてではないが、窓硝子に映る己の顔は不機嫌に眉根が寄っている。
昨年の夏に同じように新幹線のグリーン席にふんぞり返っていた時とは、まるで雲泥の差だ。
あの時は、優勝を目指して敵地に乗り込む高揚感が心地よかった。
今も、ある意味敵地に乗り込む心境ではある。しかし、何かに急き立てられるような焦燥が拭えない。
東京の大学を一つ受けることになっていて、宿泊先のホテルも押さえてある。
あと一週間は滞在するつもりだから、その間にいくらでも機会はあるだろう。
解っていても気持ちは逸るし、不安は増大する。
小日向かなでに会いたくて。
秋の誕生日にも、クリスマスにも年始にも会っているというのに、かなでが足りなくて飢餓感が消えないのだ。
禁断症状にも似ている。
一秒でも早く会いたい。
できるなら抱きしめてしまいたいほどに。
今日は特別だ。
世の中はヴァレンタインで一色に染まり、女性はこぞってチョコレートを用意する。
送る相手は様々だろう。何も男ばかりではなく、家族かもしれないし、友達や、付き合いのある知人の場合もある。
本命チョコと義理チョコを用意するため東奔西走し、儲かるのは製菓会社だ。
東金にとってのヴァレンタインは、送りつけられた大量のチョコレートを部員に始末させる一日として認識されていた。
本人の口に入らないまま、名前だけチェックし、チョコレートそのものはチャペルを通じて関係各所へ寄付される。
名前を入れた者にはホワイトデーにカードを送って、初春の行事は終了する。
一連の流れに東金本人は一切手を付けない。今年も部員総出で事務作業に追われているはずだ。
どれ一つとして東金の心を掴んだ物はなかったというのに。
今は、かなでが作るだろうチョコが欲しくて、横浜へと向かう。
わざわざ、14日でなくても良かったのだ。それを、一ヶ月前から予約しておいた。
東京駅に着いたら、在来線に乗り換えて横浜へ。駅からタクシーで寮へと向うつもりだ。
そうしたら、学院から帰る彼女を捕まえることが出来るだろう。
何度も今日の予定を反芻する。関東の路線図など頭の中にたたき込んであるから、それをなぞるようにして胸算用し、その先にあるだろう彼女の顔を想う。
東金を見た瞬間驚いた顔をして、すぐに笑ってくれるに違いない。弾んだ声で名前を呼ぶのだろう。
だが、今日はそれだけで用事は済まないのだ。
あいつのチョコを食べていいのは俺だけ。
ちょっとでも隙を与えては、彼女の周囲にいる男につけ込まれる。
だから、油断は禁物。
彼女に会うだけでなく、釘も十二分に刺してこなければならない。
「────早く、着かねぇかな」
腕を組んで背をシートに預け、東金はそっと目を瞑った。
初出:2011/02/14