芹沢×かなで

その騒動は、もう何度も目にしてきた。
始まりは夏の全国学生音楽コンクール。
腕を競い合う中で出逢った他校生の中でも、彼女は飛び抜けて特殊な存在だろう。

その年の優勝を勝ち取ったアンサンブルメンバーであり、神南高校管弦楽部と直接対決した相手でもある。結果は完敗で、それだけでも「特別」と言える。
部長と副部長揃って彼女を「お気に入り」にしてしまったのも、異例だった。
いくら認めた相手と言っても、神戸に何度も呼びつけては(しかも費用は部長のポケットマネー)、猫かわいがりしている。
彼らと関わって二年以上の月日が経つわけだが、今までそんな特別扱いした女性はいなかった。
あれだけ悲鳴と歓声と憧憬と恋慕を集めておきながら、小日向かなでに対してのみ、別格の待遇だ。

「当然、チョコレート持ってきたんだろうな」
「手作りなんやろ? めっちゃ楽しみや」
新幹線で到着したと思えば、車を回して神南高校まで浚うように連れてきた。
一切の異論反論を認めない部長や、のらりくらりと自分のペースに引き込もうと手薬煉ひく副部長にも、かなでは邪気のない子どものような笑顔で対応する。

「持ってきましたよ。ガトーショコラなんですけど、皆さんで召し上がって下さい」
「味見はしたんだろうな。俺の口に合わねぇようなら、速攻ゴミ箱行きだぜ」
「千秋、せっかく作ってもろたのに、その言い草はないやろ」

不遜な態度の東金や、面白そうに混ぜ返す土岐を見て、芹沢は溜め息を押し殺した。
こんな二人に気に入られて、彼女はしなくていい苦労を背負い込んでいるように見えて、同情を禁じ得ない。

「大丈夫です、味見しましたから。自信作ですよ」

なのに、楽しそうに笑うのだから、じつはとても芯の強い人なのではないだろうか。
かなでの印象は、芹沢の中で変わり続けている。

初対面の頃は、控えめで大人しい、印象にも残らない子だった。
演奏技術も平々凡々としたもので、それなりに上手だが教科書通りだと思った。
東金の言う「花が無い」という指摘は最もだ。
その頃は、神南と対戦することになって可哀想にとすら思っていた。
同じ寮で世話になるからと、それなりに気を使ってはいたが。(なにせ、部長と副部長があんな人たちなので)

それが、東金や土岐に潰されることなく立ち向かい、神南を倒すほどの才能を開花させてしまった。
全国優勝する頃には、部長たちのあしらいも心得たらしく、何を言われても笑顔を見せていた。
夏が終わって季節が巡っても、連休やらクリスマスやらと何かの行事があれば必ず呼び出されるが、それにすら嫌な顔一つしない。

ひょっとして、二人のうちどちらかに対して、特別な感情でも持っているのだろうか。
そんな疑念が鎌首を擡げるようになったのはいつの頃だろう。
かなでと会えることは、決して嫌ではない。寧ろ、嬉しいことだった。
しかし、神戸に来ても団体行動が常で、芹沢と共に居る時間などごく限られている。

それを、まるで宝物のように大切に思っているのは自分だけだろう。
あの二人に対抗しようというのは幾らなんでも無謀すぎる。
今だってヴァレンタインのチョコレートを渡していて。それが特定の誰かというわけではない、ただそれだけが救いだった。

────芹沢くん」
「え?」

呼びかけられて、慌てて顔を上げる。
思考の迷路に迷い込んで、つい気が散漫になっていたらしい。
辺りに部員の姿はなく、部室には芹沢とかなでの二人きりになっていた。

「あの、部長たちは……」
「用事があるみたいで、行っちゃったよ」
「そうですか……小日向さんは?」
「え?」
「お二人の、どちらかに付いていかなくていいのですか?」

今日は、それが許される日だろう。
そのために、彼女は来たのだろうから。

しかし、芹沢の予想を裏切って、かなでは首を振る。

「ううん。私は、芹沢くんに用があって、ここに残ってるの」
「……え?」

どきりと、心臓が大きく高鳴った。
それはどういう意味だろう?
困惑に、かなでの顔を見下ろす。

「チョコレート、芹沢くんの分を作ったの。……受け取ってもらえませんか?」

真剣な目を向けられて、芹沢は暫く動くことが出来なかった。
俄に信じられず、呆然と立ち尽くす。

「やっぱり、迷惑……かな?」

かなでの顔が悲しみに沈む様を見て、ようやく我に返る。

「いえ、迷惑なんて! 寧ろ────

特別なそれが欲しかったなんて。
きっと東金や土岐が居る所では言えなかった。

彼らは知っていたのだろう。芹沢の、そしてかなでの気持ちを。
見抜いた上で、二人きりになれる状況をお膳立てしたに違いない。
あとで、盛大にからかわれるだろうと予想がつくが、この際仕方がない。
この機会を逃すほど、軽い気持ちではないのだから。
覚悟を決める。

ラッピングの施された箱を持つかなでの手を、芹沢の両手がそっと包み込んだ。


【終わり】

初出:2011/04/01

LastUpdate: