響也×かなで
それを言い出したのはどちらが先だったのか。
今となってはもう思い出せない。
話の流れでそうなっていただけで、他意は決してない、と思う。
世間的にほんの少しだけ特別な意味づけがされた日というだけで、小日向かなでが如月響也の部屋を訪れることは特別に珍しい事柄でもない。
星奏学院に転入してからは寮生活になってしまい、明確な線引きされた生活になるが、それ以前はまるで兄妹のように互いの家を行き来していた。
鍵の隠し場所から、家のどこに何が置いてあるかも知ってるし、冷蔵庫の中身など響也よりよっぽどかなでの方が詳しいくらいだ。
そういえば明日かなでがうちに来るって話になってたっけ、それじゃあ部屋の掃除でもするか、と響也はゲームの手を止めて立ち上がった時だ。
脱ぎ散らかされた服が散乱するベッドと、積み上がった雑誌と譜面が散らばる床とを見回して、はたと気付く。
ここに、明日、かなでを招く。
いや別に他意なんてないし下心とかそんなのあいつ相手に無ぇだろ今更つーかそれ以前に色気の無ぇ寸胴体型をどうにか……とか何とか。誰に対して言い訳しているのか、自分でも解らなくなる。
だから、当初の動機としては幼なじみが遊びに来る程度のつもりだったのだ。神に誓って。
ただしその幼なじみはこの一年で彼氏彼女へと昇格を果たし、二人の関係は微妙に変わっていた事が問題だった。
いざ当日が訪れてしまうと、妙に緊張している。
かなでも妙で、きちんとインターフォンを押して来訪を告げる有様だ。普段、そんな事したことないのに。
玄関の扉を開けて見た彼女は、花柄のワンピースにフードのついたパーカーと、上にジーンズ地のジャケットを羽織り、響也の目から見ても甘すぎない程度に可愛らしい格好だと思った。
ひらひらとフリルがついた裾は短めで、その下には黒のレギンス。少しがっかりしている自分が居て、すかさず違うだろと内心ツッコミを入れた。
可愛らしい格好をしている彼女を見て素直に可愛いと思えばいいし、それを伝えてやれば嬉しそうに笑うことも解ってる。
なのに、なんで言い出せずに迷ってるのか。
口の中が妙にカラカラで、なのに生唾が出てきては飲み込んでる。それがまたやけに硬く、喉がひりひりと痛んだ。
なんで緊張してんだ、俺。
一階の居間で用意した茶と菓子を食し、母親が買い物に出て行ったタイミングで二階の自室に移動する。
出がけの母は意味ありげな視線を投げて寄越したが、響也はじろりと睨み返して対抗した。
別にやましい事なんて何もないと主張すべく。
しかし、かなでが響也の部屋へと立ち入って、整理整頓を済ませたベッドの上に座ったのを見ると、何とも言えない気持ちになった。
別に何もない。
ゆっくり行こうと宣言したのは響也自身で、そのつもりだった。
物心着く頃から家族のように過ごしてきた。今もその延長のようなものだと思ってた。
なのに、立ち位置を少しずらしただけで見えていた世界が一変する。
かき混ぜるように撫でていた頭は、細く繊細な髪が生えていて、さらさらと触り心地がいいとか。
いつも子供みたいに無邪気に笑う頬は、白くきめ細かく、ちょっとしたことで赤くなる様がよく解るとか。
唇は赤くぷっくりと膨らんで艶やかだとか。
細っこい奴だとは思っていたけど、肩は折れてしまいそうなほど薄いとか。
ヴァイオリンを奏でる指先は綺麗で、白い手はすべすべしているとか。
何で気付かなかったんだろうと思う。
すぐ近くにいたはずなのに、まるで知らない生き物のような気がした。
触れたいと思う気持ちが一番強くて、立ち尽くす。
世間はホワイトデーだと言う。
浮かれたつもりはないけれど、ヴァレンタインのチョコレートを貰ったのだからお返しをするのは当然というものだ。
男の義務とまでは思わないが、借りを作ったままというのは落ち着かない。
だから、借金返済くらいの心構えだった。作った貸しがチャラになるくらいの。
なのに、この気持ちは何なんだ。
現実に自分の部屋でくつろぐかなでを見て、圧倒されている。
男の部屋に二人きりで、無防備そのままの顔を見てると苛立ちが募った。
隣にどかりと座ってみたら、かなでは手近にあった譜面を取り上げて響也に話しかける。
「この楽譜って、この前のアンサンブルのやつ?」
呑気そのものだ。危機感などまるで皆無。
察してくれなんて言わないけれど、もうちょっとこう、何かあんだろ。緊張とか、反応とか。
本当に、どうしてくれよう。
響也はがっくりと肩を落とした。
【終わり】
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でもかなでだって意識してると思う。それに気付くかどうかで展開変わるかと。
初出:2011/04/01