八木沢×かなで
ラウンジの一番日当たりのいい席について、二人のお茶会は始まった。
二人の間にある空気は少しだけぎこちなさが見て取れるが、おそらく八木沢の遠慮深さが原因だろう。
殆どの寮生が帰省してしまった菩提樹寮に残る者は少なく、滞在許可を申請していたかなでと二人きり、ラウンジを占拠しているようなものだ。
残りの人間を食堂に押し込め、彼らの肩越しにラウンジの様子を一瞥し、ニアは微笑む。
まったく、焦れったい二人だ。
あんなに解りやすく惹かれ合っているというのに、距離の縮め方はまるで亀の歩みの如くだ。
それに加えて、今日は外野も煩い。
「隊長! 八木沢先輩が作ってきた和菓子を差し出しました!」
「あれ、量多すぎじゃね? いくらホワイトデーって言っても限度ってモンがあるだろ」
ふわふわの明るい髪ともじゃもじゃのアフロヘアがラウンジと食堂を隔てる扉に張り付き、ニアの視界を遮った。
ちっと舌打ちすると、ニアの横合いから恰幅のいい男子生徒が出てきて二人を止めようと声を上げる。
「狩野先輩、新くん、止めなよ……」
しかし、のぞき見に熱中する二人は聞く耳を持たない。
「何言ってんだ、伊織、これからが良い所じゃねーか」
「あ、あれは、最中にお萩に桜餅かな? 道明寺っての? あとは柏餅かなー、羊羹もあるね、うまそー」
「いいなー、俺らにも分けてくんないかなー」
「二人とも……」
伊織がおろおろと狼狽え始めた所で、もう一つの影が敢然と現れる。
「……いい加減にしやがれ!」
小気味良い音を立てて拳が二人の頭にめり込んだ。
「うぎゅう……」
「てめ……火積……先輩をグーで殴りやがったな……」
床に倒れ伏した狩野と新の頭頂部から煙が上がる。
「因果応報、自業自得だな」
ニアがにやりと口角を上げた。
伊織が「暴力は駄目だよ」と火積を諫めるが、効き目は無いらしい。
目を吊り上げ、手の掛かる先輩と後輩を見下ろす。
「だいたい、俺らは自由行動だろうが。行きたい所あるっていうから来てみれば、何を覗き見してやがる」
「だってぇ、気になるじゃないですかぁ、あの二人のホワイトデー」
「そうだよ、卒業旅行の日程にこの日を入れたんだし、ちょっとくらい見てたっていいじゃんか」
腕を組んで仁王立ちする火積を見上げ、狩野と新は拗ねたように胡座を組む。
「いいわけねーだろ! 見せモンじゃねぇ!」
火積が吠え、伊織が「静かにしてないと、二人の邪魔になっちゃうよ」とやんわり注意し、食堂の騒動は一段落を迎える。
「なるほど、それで。八木沢雪広が来るとは聞いていたが、ぞろぞろとおまけまで来るとは」
ニアが顎を摘んで納得したと頷いた。
「え? 支倉さんは八木沢先輩が来ることを知ってたんですか?」
伊織が不思議そうな顔をしてニアを振り返る。
ニアはふふんと笑った。
「毎日かなでと顔を合わせてるんだぞ。しかもその会話には八割以上八木沢にまつわる事象が含まれている。昨日の夜、こんな会話をしたんだよ~って、嬉しそうにな。筒抜けも同然だろう?」
「女子って怖ぇ……」
狩野がげっそりと顔を顰めた。
「だから。出刃亀なんてしてないで、とっとと横浜を満喫してこい。……これ以上ここで騒ぐようなら、寮長に言って追い出させるぞ?」
ニアの笑みに黒いものが混じり、伊織と狩野は顔を青ざめさせる。
「あ……! 八木沢先輩……!」
新が声を上げて、険悪な空気が遮られた。
ラウンジからお盆を持った八木沢とかなでが現れる。いつの間にか、席を立っていたらしい。
ニアがちらりと盆の上を見ると、菓子は幾分減っているようだが、茶は既に無いようだった。
八木沢が皆の顔を見回し、苦笑する。
「食堂が賑やかだと思ったら、皆、ここに来てたんだね」
「皆さん、ご無沙汰してます」
「かなでちゃん、久しぶりー!」
「すみません、ぶ……いや、先輩。部長の俺が皆をしっかりまとめられなくて」
火積が深々と頭を下げる。
八木沢は柔らかく笑った。
「いいんだよ、火積。せっかくだから、皆でお菓子を食べようか」
「私、お茶煎れてきますね!」
「私も手伝おう」
かなでが小走りにキッチンへ向かい、ニアもそれに付き従う。
男子たちはまだ何やらわいわいと騒いでいるようだが、それよりは静かな場所が欲しいと思った。
かなでと二人で話がしたい。落ち着いた所で。
キッチンは都合がいい場所だった。
並々と水をくんだやかんを火に掛け、その間にも戸棚から煎茶の缶を取り出し、急須に入れる。
ニアは人数分の湯飲みを取り出し、テーブルに並べた。
「悪かった、邪魔してしまったな」
湯が沸騰するのを待つかなでの横顔が寂しそうに見えて、ニアは謝罪を口にする。
「ううん、いいの。だって、改めて面と向かうと何話していいか解らなくて」
「電話であんなに喋ってるのに?」
「なんか、いざ目の前にいると、嬉しくて、それだけで胸がいっぱいになっちゃって」
胸を両手で押さえ、かなでは深呼吸する。
「でも緊張もしちゃって、何喋ってるのか、自分でも解らなくなっちゃうの。……ねえ、ニア。私、変な子って思われてないかなぁ?」
不安に揺れる瞳が、今にも泣き出しそうに歪む。
ニアは苦笑した。
初めての恋に戸惑う友人は、随分と臆病になっているらしい。
可愛らしくもあって、だから苦笑してしまう。
一歩引いて見ていると、焦れったいばかりなのに。
当人たちにその自覚は皆無らしい。
「そんな筈ないだろう。あの八木沢の眼差しに気付いていないとは言わせないぞ? あんなに甘くて優しい目でお前を見てるじゃないか」
「それは……そうなんだけど」
「あ、ほら、沸いたようだ」
やかんが高々と音を立てる。
かなでは慌てたように火を止めた。
急須に湯を注ぎ入れ、充分に蒸らした後、湯飲みに分ける。
ふと、かなでが顔を上げて、戸棚を再び開けた。
「こっちに、確か栗饅頭があったよね」
「ああ、葛きりもあるぞ」
「どうせ日持ちしないし、皆で食べちゃおうか」
「それがいいな。……お前は、浮気しないで八木沢の菓子をたらふく食ってやれよ」
「うん、そうする!」
ニアの提案に、かなでは笑って頷いた。
【終わり】
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結局、餌付けされてるかなでさん。
初出:2011/04/01