東金×かなで
「あの……東金さん。どうして、こんなに色々してくれるんですか?」
思わず口に出てしまった疑問は、取り戻すこともできない。
呆気にとられたような目が六つ、かなでに集中砲火を浴びせ、その時になって失言を自覚したがもう遅い。
口元を押さえている間にも、土岐が大声で笑い出した。
「あっはははは! ホンマ、おもろい子やねぇ、小日向ちゃん」
「ちょ、土岐さん……」
腹を抱えて抱腹絶倒とばかりに笑い転げる土岐を、芹沢が諫める。
「ここまで来て千秋の片想いとは。まさかまさかのどんでん返しとはこの事や! やー、おもしろすぎて涙でてきよる」
「芹沢!」
耐えられないとばかりに東金が鋭く叫んだ。
言われるだろうと構えていたのか、名を呼ばれた芹沢は冷静に対応する。
「はい。……土岐さん、我々はもう行きますよ」
「はいはい。頑張れや、千秋。小日向ちゃん、またな」
芹沢に背中を押されながら、土岐はひらひらと手を振った。
桜の並木道に東金とかなでが取り残される。
蕾が膨らみかけた枝は重そうに垂れ下がり、近付く春の気配を感じさせた。
降り注ぐ日差しも暖かく、少し動くと汗ばむほどだ。
そうして、広い校内を案内してもらい、まだ咲かない桜を惜しんでいた。
かなでが神南高校へ訪れたのは、東金の誘いだった。
3月14日に神戸に来いと言われ、新幹線のチケットが郵送されてきた。指定席で時間も何もかも決定されている。
宿泊のホテルまで用意され、地元へ帰省する前に神戸旅行と相成った。
星奏学院も卒業と終業を済ませたばかりだが、神南もつい昨日卒業式だったそうだ。
人影もまばらな校舎へ、東金に引っ張られるようにして足を踏み入れる。
おっかなびっくりと目を白黒させているかなでを、土岐や芹沢ら馴染みの面々が暖かく迎え入れてくれた。
「俺が居る間に、お前をここに連れてきたかったからな」
東金は、そう言って理由を説明する。
誇らしげに胸を張って案内される設備は、どこも星奏とは比べ物にならないほど整っており、広い敷地にはチャペルまである。
管弦楽部の部室は授業を受ける教室から離れた旧校舎にあり、煉瓦化粧の施された建物はヨーロッパにあるお屋敷を彷彿とさせた。
かなでは、ただただ荘厳な雰囲気に圧倒される。
「どうだ? 今からでも転入する気になったか?」
「とてもいい環境だと思いますが、私は星奏がいいです……」
「頑なだな、お前も」
「それは東金さんもそうだと思いますけど」
「そうそう。千秋は諦めが悪いんよ」
東金とかなでの言い合いに、土岐が茶々を入れて混ぜっ返す。
「だいたい、俺らは春から大学生やろ。千秋は東京の大学に行くし、問題ないんちゃうん?」
「そう言えばそうですね。横浜からは近くなります」
嬉しくなってかなでがにこにこと相槌を打つと、東金はふいっと顔を逸らした。
「ああ、解った。小日向ちゃんに神南の制服着せたかったんやろ。それは俺も見たかったなぁ。タータンチェックのミニスカな小日向ちゃん」
「うるせぇぞ、蓬生」
低いうなり声を上げる東金に対して、土岐はころころと面白そうに笑う。
かなでの両脇に東金と土岐が居て、この会話もかなでの頭上で交わされている。
ばちばちと火花が散ってるなど、挟まれているかなでには気付きようもなかった。
一歩後ろに控えた芹沢は、元部長と元副部長の言い争いに我関せずと付き従っている。
「卒業式はどんな感じだったんですか」
「式なんてどこも似たようなもんだろ。卒業証書授与があって答辞があって」
「ちなみに、学年主席は千秋やったんやで」
「そうなんですか! 凄いですね!」
「これくらい、当然だろ」
かなでの賛辞に、東金は当然とばかりに澄まし顔だ。
「当然、その後の第二ボタン争奪戦も凄かったんやけどな」
「おいこら、蓬生」
口を挟んだのは土岐で、東金がじろりと睨み付ける。
かなではぽんと両手を打った。
「それは確かに凄そうですね。星奏でも、大地先輩や律くんはボタンが一つも残らない有様でしたし」
「あー、あの二人はそうやろな」
「蓬生さんは?」
「俺? もちろん、逃げとったよ」
「ええっ!」
「こういう時の逃げ足だけは早いんだ、こいつは」
「千秋かて人のこと言えないやろ」
「え?」
「さっさと逃げて、ボタンは誰にもあげてないんよ。安心した?」
かなでの顔を覗き込み、土岐は艶やかに微笑む。
「あ、あの……」
「蓬生!」
かなでは戸惑い、東金が叫ぶ。二人の反応を、土岐は面白そうに眺めた。
「今更照れる間柄でもないやろ。わざわざ小日向ちゃん呼んでおいて。あのホテルにしたって、何ヶ月も前から予約してたんやで」
「え、そうなんですか?」
左の土岐を見上げていたかなでは、右上にある東金へと顔の向きを変える。
そこには先程までの機嫌の良さが掻き消えた、東金の仏頂面があった。
「別に。お前を泊めるのに、その辺の安宿じゃマズイだろう」
「せやな。女性客が一人でも泊まれる、治安のいい土地柄の特等室やで」
「そ、そこまで気を遣って頂いてたなんて」
かなでは恐縮して立ち止まってしまう。
「遠慮なんてするな、男として当然のことをしたまでだ」
東金はふっと微笑んで、まっすぐかなでの目を見た。
そうして。
かなでの口から、ぽろりと。思わぬ拍子に、本音が零れ出てしまった。
芹沢に伴われて土岐が立ち去り、東金とかなでの二人は声もなく立ち尽くす。
驚愕の波が引いた後の東金は、眉根を寄せて不機嫌そうに見える。
かなでから顔を背け、言葉を探しているようだ。
────不機嫌というか、寂しそう?
悲しそうにも見える。
かなでは胸がぎゅっと掴まれたような心地になって、一歩前に踏み出した。
「あの、東金さん。誤解しないで下さい」
「……なんだ?」
「私、東金さんにこんなに色々して頂いて、とても嬉しんです。……でも、何もおかえし出来ないのが、辛くて」
「別に、お前に見返りなんて求めてねぇよ」
「でも……」
「俺がしたくてしてるんだ。お前はもっと大きく構えてろ。お前の我が侭くらい聞いてやる」
東金がこちらを向いて、まっすぐにかなでの目を見詰める。
不機嫌さは消え去り、真剣さに変わっていた。
「えと、わがまま……ですか?」
「そうだ。何でも言えよ。叶えてやるから」
「あの……それじゃ」
かなでは恐る恐る東金に近付く。
「こうして、側に居て下さい」
袖の端を小さく掴む。
頭の上で、東金がふっと笑った。
「……それだけでいいのか」
「あの、今のところは……それくらいしか思い浮かばなくて」
「全く、お前は!」
「きゃっ」
急に肩を掴まれ、東金の腕に閉じこめられる。
顔を見ようにもかなでの視界は東金の胸あたりが見えているだけだ。
何が起こったのか、かなでの思考回路と現実がうまく繋がらない。
「と、東金さん?!」
「だから可愛いってんだよ、お前は。何でも叶えてやりたいし、構ってやりたくなる」
「そ、そうなんですか?」
かなでの後頭部に手を回し、そっと唇を寄せる。
東金は愛おしそうに目を閉じた。
「自覚が無ぇってのも、問題だな」
「そんな事言われても……」
「いいさ。これからずっと、俺が教えてやる」
どんなにお前を想っているのか、一から全部数え上げてやるよ。
くくくと喉を鳴らして東金が笑い、かなでは顔を真っ赤に染めた。
【終わり】
Comment
東金通常EDで、観覧車イベントも神戸イベントもスルーしてしまったその後の二人という設定。
初出:2011/04/01