冥加×かなで
携帯を開いて、一度目を瞑る。
大きく深呼吸し、ディスプレイに視線を落とす。
ボタンを押して操作し、目的の名前を呼び出した。
作業はさして多くない。
彼から連絡先を聞き出して登録した時から、何度も名前を見ていた。
実際に連絡をとることは希で、毎度のように緊張を強いられる。
その上、相手はあの冥加玲士だ。
必要な連絡事項を伝え合う以外の雑談を好まず、話が途切れてしまったらそのまま終了だ。
かなではそれを口べたと解釈することにした。
電話が思ったより長話になってしまった時、冥加は溜め息混じりにも言ってくれた。
「……お前が望むのなら、付き合ってやらんこともない」
彼は優しい。その優しさが少し解りづらいだけで。
思い返せば、自分たちは敵同士だとか、復讐がどうの憎しみがどうのと言っていたけれど、彼の態度は始めから紳士的だった。
ヴァレンタインのチョコレートも渡し(受け取ってくれ)た。
もちろん、紛う事無く本命チョコだ。
そのお返しを送るホワイトデー、3月14日。
菩提樹寮に大輪の赤いバラの花束が贈られてきた。
小日向かなで宛に。
両手いっぱいに抱えきれないほどのバラは、値段としても相当だろう。
なのにカードの一つも入っていない。
悪戯にしては手が込みすぎている。
犯人は誰だと、菩提樹寮でひと騒動になったが、かなでには思い当たる節があった。
他にない……と思いたい。
夕食後の騒動が収まり自室に引き上げ、シャワーなども全て済ませてあとは就寝のみという時間帯。
かなでは携帯電話と睨めっこする。
希望を込めて、当該のナンバーに電話をかけた。
どきどきと心臓が煩い。緊張で全身が凝り固まる。
数コールの後、相手が出た。
「こんばんは、冥加さん。小日向です。……今、大丈夫ですか?」
「……どうせ駄目と言っても聞かないのだろう。何の用件だ?」
冥加の穏やかな声音に背中を押され、かなでは頬を緩めた。
「はい、お礼を言いたくて」
「礼だと?」
「はい。今日、菩提樹寮の私宛に赤いバラの花束が届けられてきて……これって、冥加さんですよね?」
「……知らんな。人違いだろう」
「そんな事言っても騙されませんよ」
低い声の中に嘘が混じる時、彼は少しだけ語尾が弱まる。
常に断言するように言葉を吐く人だけに、その微かな変化をかなでは見逃さない。
夏に横浜に越してきて数年ぶりの再会を果たした後からずっと、何度も顔を合わせて言葉を重ねてきた。
その間、無為に時間をやり過ごしてきたわけではない。
彼の言葉一つとして洩らさず心に刻みつけるようにして関わり合ってきたのだ。
「夏のコンクールでも、フルーツやラベンダーを頂きましたし。でもさすがに、今回は大騒ぎになりましたよ。犯人は誰だって」
「それで、お前は俺が主犯だとでも言いたいのか」
「……違うんですか?」
あまりにはぐらかされては、さすがにかなでの気勢もそがれていく。
つい語調が弱くなると、電話の向こうで冥加が微かに笑った気配がした。
「そう思うなら勝手にしろ」
「はい、勝手にします。ありがとうございました」
「…………」
礼を述べると、冥加は黙り込む。
きっと照れくさいのだろう。顔を見られないのが残念だった。
かなでは勇気を振り絞って名を呼ぶ。
「あの、冥加さん」
「何だ」
「一つ、訊いてもいいですか」
「嫌と言っても聞かないつもりだろう。何だ?」
「赤いバラの花言葉……知ってますか」
再び電話は沈黙する。
「……知っていたら何だというんだ」
「だって……!」
それを贈るという事は。
答えは一つしかない。
「……そういう意味だって、解釈してもいいんですか?」
震えそうになる喉を押さえて、携帯電話を耳に押し当てる。
「……質問は一つだろう。答えたぞ」
冥加は歯切れ悪く逃げ口上を吐き出した。
「あ、冥加さん、それはズルイです!」
「狡くない、お前が持ち出した話だろう」
「それはそうだけど……!」
「話はそれだけか。もう夜遅い。切るぞ」
「冥加さん!」
電話は便利だけど、こんな時は不利だ。
本心を探ろうにも頼りになるのは声の調子と言葉だけ。
その上、相手は本音をはぐらかし、いつも何も言ってくれない。
好きなのは自分だけのような気がしてしまう。
けれど、切ると言いながら冥加は決して自分から電話を切らない。
今も言葉を詰まらせるかなでに付き合って、繋いだままにしてくれる。
彼はとても優しい人。
不器用で、うまく気持ちを伝えてくれないけれど、決してかなでを放っておいたりしない。
ふと、かなでは顔を上げた。
相手に期待してばかりで、自分からは何も言っていない事に気付いた。
目線の先には、真っ赤な小山になっている花瓶。今は机の上に置いてある。
少し古めかしい寮の、かなでらしい小物でアレンジされた部屋にあって、とんでもなく場違いな迫力の香りと存在感を誇る、赤いバラの花束。
ヴァレンタインのお返しとしては、これ以上なくベタだけど。
これが彼の本心だとすれば、電話の受け答えは照れ隠しだろう。
かなではぎゅっと携帯を握りしめた。
「冥加さん」
相手の顔を見られないけれど、こちらの顔だって見えない。
それなら、今、何を言っても許されるのかもしれない。
もう既に首から上は、血が沸騰するかと思うほど熱く真っ赤になっているけれど。
見られていないと解っているから、勇気も出てくる。
「バラの花束、本当に嬉しいです。……大好き」
「……っ!」
最後に囁くように呟くと、電話の向こうで息を呑む気配がした。
「そ、それじゃ、お休みなさい!」
「おい、小日……」
冥加の声を遮って、強引に電話を切った。
今更、羞恥が沸き上がっても遅い。
けれど後悔など一つも感じなかった。
ただ泣きたくなるほど嬉しいと思うだけで。
沸き上がる気持ちのまま、出てしまった一言だった。
素直な、ありのままの気持ちだ。
もう少しだけ、冥加の反応を聞いておけばよかったと、その点は少し残念に思う。
明日、冥加の妹である枝織に、様子をこっそり聞いておこう。
悪戯を企むように笑って、かなでは携帯を充電器に差し込んだ。
【終わり】
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電話が切れた後の冥加を想像するだけでニヤニヤが止まらない。
初出:2011/04/01