大地→かなで
片思い・切ない
(倉上→律+かなで←大地)
頭に浮かんだメロディは学内選抜のアンサンブルで弾く曲だった。
それをそのまま口ずさんでいる自分に正直驚きを隠せない。
なんだか浮かれているな、と冷静に自分を振り返って苦笑する。
学内の廊下ともなれば様々な人間が行き交う場であり、表情を弛めすぎていては訝しく見られるだろう。
角を曲がった所で表情を改めた。
それは意図したものではなく、目指していた音楽室の前に立つ人物を見ての結果だった。
音楽科三年で同じオーケストラ部に所属する倉上江里子が、開いた扉の先を見つめたまま立ち尽くしている。
どう声をかけようか迷ったのは、彼女の性質を慮った上でのことだ。
大地の軽口に対して冷ややかな目を向ける倉上が、今は眉根を寄せて深刻な顔をしている。
普段から相性の良くない相手である上に真剣な顔をされては、軽々しく挨拶するのも憚られた。
しかし、大地には今音楽室に行く用件がある。
このまま突っ立っているわけにもいかない。
「やぁ、倉上。どうしたんだい、こんな所で」
「さ、榊くん────」
案の定と言うべきか、倉上はぎくりと身体を強張らせる。少し青ざめた顔色が痛々しい。
「中に用事?」
「……別に、なんでもないわ。それじゃ」
早口で言い捨てると身を翻すように立ち去ってしまった。
やはり声をかけるべきではなかっただろうか。
溜め息一つ吐いて音楽室を見た。
そこに居たのはオケ部部長如月律と、転入早々オケ部に入部した小日向かなでの二人だった。
如月律の表情は今まで見たことが無いほど穏やかで、口元には微かながらにも優しい笑みを浮かべている。
小日向かなでが嬉しそうに笑うと、律もはっきりと笑顔になった。
二人が築き上げてきた関係が垣間見えるようだ。
決して恋人同士ではない。それは一目で判る。独特の駆け引きや甘ったるさや依存とも無縁の距離がそこにあった。
しかし互いの信頼は強固で、恋愛感情を越えた所で結びついているようにさえ思える。
それはある意味、恋人以上の関係と言えるのではないだろうか。
倉上の反応を納得すると同時に、胸が微かに痛んだ。
あんな姿を見せつけられてはたまったものじゃない。特に律は、学内では決して見せない種類の顔をしているのだ。
当人達にのろけてるとか見せつけているという自覚がない分、やりきれないだろう。
今だって入り込めずに立ち尽くす自分を指差して笑い飛ばしたい心境だ。
おそらく今この瞬間にも二人の名前を呼んで大地の存在を知らしめたなら、二人はすんなり受け入れてくれるだろう。
二人きりでいることを特別と思っていないのだから。
けれど、律の本心はどうだろうか。
弟と幼なじみが転校してくるとは明言していたが、幼なじみの性別や人となりなど詳細は一切口に出さなかった。
そうやってかなでの存在を周囲に徹底的に漏らさなかった事を考えても、彼女を手の内に置いておきたいと心の片隅で思ってるのではないだろうか。
かなでは律を盲信している。響也が常々愚痴るように、何をおいても律を優先順位の一番に持ってきていた。
今はまだ兄を慕う妹のような態度だと判るが、何かの弾みで恋愛感情に切り替わる可能性も残している。そうなった場合の結果は想像するまでもない。
もしそうなら、最終的に自分はそこに切り込むことになるだろう。
彼女を本気で奪い取ろうと思うのなら。
そこまで考えて自嘲が洩れた。
何を馬鹿な。そこまで熱くなるような人間じゃないだろう、俺は。
律は大切な仲間で、かなでは可愛い後輩。それでいいじゃないか────
いつもの「榊大地」の顔をして名前を呼ぶ。
律はきっと無表情だろう。かなではぱっと咲いた花みたいな笑顔を向けてくれるに違いない。
だから、他意などないという態度を装う。
「律、ひなちゃん」
「あっ、大地先輩!」
いまはまだ自覚無しの片想い
【終わり】
初出:2010/06/05